Need for presence awareness beyond the visual
Trial Experiment of Extended Methods of Architectural Recognition
Yusuke Ehara
実験の経緯——建築の認識における視覚領域の占有と聴覚世界の研究 人間は何か物を認知する時、約 83% が視覚に頼っている注1 (fig.1)。五感において、視覚の占める割合が非常に高いことが分かる。 視覚とは光を目で感じ、情報を得ることである。つまり、人々はほとんど光から情報を得ていたことが分かる。全てのものは何ら かの形で光を発しているといえる。聴覚は全体の約 11% に過ぎず、極めて少ない。いかに人間が聴覚を使っていないかが分かるだ ろう。ここで私は、この視覚の優位性に疑問を持ち、聴覚の可能性を広げることができないかと考えた。光の世界である現状を音 で満たされた聴覚でできた世界に変換した時何が起こるだろう。そんな素朴な疑問がきっかけであった。
注1:人間の五感の使用割合はおよそ視覚
%と言われている。『教育機器編集委員会編 日科技連出 版社 1972』
比較芸術的視点からー西洋/日本の比較による成果と考察
音楽と建築を根本から考えるとき、よく耳にするのは音楽は時間芸術であり、建築は空間芸術であるというものだ。たとえば、ゲー テやヘーゲルは「建築は凍れる音楽である Gefrorene Musik」注2と語っている。つまり、音楽という時間が凝固すると空間になる、 ということだ。しかしこれは、私にとってクリシェ注3として飲み込めても、経験的な理解には至らなかった。(2022/04)
では、もう少し敷衍してみよう。今日、音楽と建築を結びつける方法は大きく 3 種類に分けられる。
①演奏空間に注目し、音の場をテーマにする ②数と比例の問題を軸として展開する(意味論的)
③時間と空間の形式を比較する(構造論)である。
①は空間に実際に音楽を流すことを端緒とし、②は、かつてピタゴラスやプラトンの比例論的な展開や、ギリシャのエスト論のよう な、オーダーとの結びつき注4 が思い出される (fig.2)。③は比較芸術の観点から時間・空間論を展開し、構造的なレベルで類似性を 発見しようというものである。(五十嵐太郎『美しき女神、ムーサ』より)私はそれぞれに対して検証を試みた。その中で特に③が 記述に値する成果であった。その所以は後述。(2022/05) 比較芸術的な観点からの研究をしていく上でまず、音楽における西洋と日本の二項対立的な比較を行う。西洋では広く、神に捧ぐ クラシックが最も広く根付いている注5。日本では『雅楽』注6が伝統的な音楽とされているが、西洋ほどの知名度はない。更に、音 楽と建築のつながりを考えるための方策は西洋のみかつて『ノーテーション』注7によって紡がれた。私は同様に雅楽においてもノー テーションを試みる (fig.3)。しかし、信頼に足る結果は得られなかった。(2022/06) これには2つの大きな理由があった。雅楽という音楽はクラシックのような” メロディアス” な全体を構成しない。これは所謂不 協和音を許容しているためである。また、「唱歌注8」を通じて師匠から弟子に伝承され、楽譜を持たない。故に演奏毎に少なから ず変化が生じる。この大きく二つのクラシックとの違いが結果の考察として得られた。(2022/07) もう一度雅楽の特徴を整理してみよう。一つには不協和音を受け入れる、もう一つには一回性を重んじるというものであった。す なわち、西洋では強く重んじられてはいない、曖昧さや不安定さを是としている。実際に雅楽を聴いたとき、ごく ” 当たり前” に この考え方は漂っているものだと分かるだろう。これは日本の建築においてもとても重要であると私は感じる。建築は高度経済成 1
長における複製技術の台頭によって一回性を失い、同じものをコピーすることに慣れて行った注9。その影響は今日でも続き、我々 の建物に対する審美眼は薄れ、スクラップアンドビルドと言う言葉の誕生に至り、日本の建築の偽りの” 当たり前” とされ浸透し ていくようになってしまう。しかし前述した通り、本当の当たり前などではない。かつて雅楽という一回性の音楽が誰もが親しむ 音楽であったように、本来我々に根付いた考え方は、合理性などではない、様々なもののありのままを受け入れ切り捨てず曖昧な 状態のまま紡いでいく状態のことであったのだ (fig.4)。(2022/09)
この発見により、日本と西洋における比較芸術的な観点によって建築に対する見方が変化したこと、またこれから目指すべき建築 の姿が見え始めた。同時に③による研究が身を結んだともいえよう。
次に、この研究のアウトプットの為に必要なもの、表現の仕方について考えて行った。
注2:ここではゲーテ / ヘーゲルを挙げているが、元はE・P・フェノロサが薬師寺の東塔の律動的な美しさを表現したものであるとされる 後に多くの論 者によってこの常套句は用いられている 注3 : クリシェ(フランス語 : cliché、発音 : [klɪ 'ʃe])は、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指す。転 じて音楽においては、同じ和音が長く続くとき、構成音の一つを半音・全音ずつ変化させていくこともクリシェという 注4 : 古代ギリシャにおいて、ピタゴラスは簡単な整数比で弦を分割すれば、和音が発生することを発見した。プラトンも音の関係を長さで可視化した。音 楽の旋法の中には建築のオーダーと同じものがあり、両者の関係性を感じ取ることができる 注5: クラシックと広く言っても中には様々なモノがある。ここで述べるのはレクイエムのような教会などで礼拝と共に演奏される讃美歌のことである 注6 :『雅楽』は、日本古来の儀式音楽や舞踊などと、仏教伝来の飛鳥時代から平安時代初めにかけての 400 年間あまりの間に、中国大陸や朝鮮半島から伝 えられた音楽や舞、そして平安時代に日本独自の様式に整えられた音楽などのことで、今は宮内庁を中心に演奏されている。また世界の古典音楽として外 国でも非常に高く評価されてきている
注7: ある特定の記号・符号による表記法。数学における記数法、音楽における記譜法など 注8: 師匠から弟子へ、口頭伝承によって、記譜することなしに後世へ伝える方法。演奏を記号化し、発声して歌にする 注9:ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」『複製技術時代の芸術』高木久雄・高原宏平訳、佐々木基一編、晶文社、1999 年、p.41
5つの方針と意図ー設計条件の決定と効果的な触媒 ((0) 示唆的であること)
私は卒業設計を自分の意思表明の場として用いることを選んだ。それは大学院試験に落ち、これからの道筋が全く見えないことが 事前に分かっていたためだ。この卒制を通じて、まとまりきらなくても自分の考え方を形として表し、路頭に迷っても道標となる ようなものにしたいと思う。
(1) 素材 / 物質に対する意識
音(楽)と建築の化学反応をより効果的に進める触媒を考える際、私はこれまでの固定された思考をなるべく避けることが最も重 要であると考えた。視覚が当たり前になった現代で、新たな考え方を拾うための出発点はとても本質的で根源的なものであるべき だと考察したからである。それはありふれたものを疑う見方だ。まず、今まで建築の材料として使われてきた素材や物質について の見方を変える。そうは言ってもとても容易なことではない。まずはとても稚拙な考え方でも理解し得ない可能性があるとし、捨 てずに据え置くことを重視した。たとえば色の違いである。建築を空間という現実に存在する具体的なものだとすると、音楽は抽 象的なものである。故にその関係性に近い事柄である、透明か不透明か、白か黒かということを考える。ガラスは最も透明で抽象的(=
聴覚(11) 触覚(1.5) 嗅覚(3.5) 味覚(1.0) 単位(%)
視覚(83)
fig.1 ——人間の感覚モダリティの割合 ( 黒:視覚 ) (情報引用出典 = 教育機器編集委員会編 日科技連 出版社 1972)
fig.2 ──新築のための建築理論としてのオーダー(セルリオ『建築書』第 4 巻「建 物の 5 様式」[左]とヴィニョーラ『建築の 5 つのオーダー』[右]) (引用出典=Sebastiano Serlio, Tutte l'opere d'architettura et prrospetiva di Sebastiano Serlio Bolognese,1600[ETH-Bibliothek Zürich 所蔵]、Jacomo Barozzi da Vignola, Regola delli Cinque Äi0Ordini d'Architettura, 1562[Bibliotheca Hertziana, Roma 所蔵])
fig.3 ——雅楽のノーテーション
西洋の楽譜や図形譜を参考にしながら、絶対音感を用いて、感覚的に記譜 していった 図形として示すことはできたが、雅楽の持ち味である不協和音 や一回性が表現しにくい。図形という固定化された情報媒体ではふさわし くないことが露呈した
音楽)であり、土やコンクリート、汚れ、暗闇は具体的で建築的なものであるとし、様々な材料を分類し直してみた。 (2) 音 ( 楽 ) を表すカタチ
また、聴覚情報を視覚化にするためには何らかの形態が生まれざるを得ない。その形態は最も音(楽)と親和性が高いものである はずだ。心理学者の U・ナイサーは著書『認知の構図』注 10 の中で、人間のモノの認識の仕方として、まず、漠然とした雰囲気を知覚し、 その後細部を認識するのだと説明している。そこで私は、様々な方法で音(楽)の形態を探り、それぞれの個々の細かい形を重視 するのではなく、漠然とした音の要素を把握するように努めた。その結果、3つの要素によって細かな全ての形態が大概説明出来 ることがわかった。①円◯②波〰③方向→である。
(3) 周辺視野活性化と森的空間・木造軸組と聴覚空間の関係性への提言 前項で参照した U・ナイサー「認知の構図」をもう少し紐解こう。モノの認識の漠然とした全体→細部の流れは私たちにとってと ても理解しやすい。例えば、森林浴に出かけた際、様々な感覚器が活性化されるとても “豊かな‟経験を得るのは周知の通りだ。そ のメカニズムを解釈すると、視覚のヘゲモニーを許した我々は多くのモノを眼だけで認知する。しかし、森林には人工的な空間と は異なり、林立した樹々、葉の揺らめき、地面の色など、我々の眼の焦点を絞らせない様々な要素に溢れている。つまり、中心視 野 / 有効視野ではなく、周辺視野 (fig.5) をまず知覚に用いているのだ。これは他の諸感覚にとっては好機と言える。なぜなら視覚 だけでは漠然とした全体しか認識出来ず、聴覚によって葉の擦れる音、嗅覚によって土の匂い、触覚によって木や土の質感を経験 できるからである(ときには花の蜜を口で吸ったりすることもあるだろう)。これと同等の建築空間に木造軸組があると考える。我々 は普段建物の所々で露わになった構造用の木材を認知することはあっても、周囲を材で囲まれる経験は殆どない。しかし、木材一 本の認知では中心視野の餌食になるが、囲まれたとき感覚的には森林空間と似た経験が出来るはずなのだ ( 木材には寸法は同じでも 木目や年輪、材の色の違いなど、細部の違いが多く存在する )(fig.6)。そこでは視覚以外の諸感覚が付け入る隙を窺う。また、木造 軸組の住宅は大量生産によって郊外に独立するよりも、人々が行き交う都心部に多く存在している。木軸を経験した時、木材だけ では感覚が限定されるが、都心の生活音や工事の音などが木軸の外から入ってくることで、聴覚が刺激された経験に繋がるのでは ないだろうか。その中に入った人はまるで、木造軸組が吸音材のように住宅街に漂っているありふれた音を吸収し、私の耳に届か せてくれたと感じるはずだ。
(4) 聴覚と視覚を繋ぐ “数”
では、木造軸組は聴覚でできた世界かというともう少し補佐が必要だろう。それは、聴覚以外の感覚も同時に強まるからだ。それ 自体は魅力的なことだが、今回の研究は建築と音 ( 楽 ) の関係性である。では今度は視覚と聴覚の関係を普段から感じている者の視 点から考えてみよう。世の中には視覚を用いない人、聴覚を用いない人が存在している。その二者がお互いに共有し得るものは数 値である。よって建築的言語に言い換えると寸法に注目して設計を行えばよいのではないか。視覚を用いない人は聴覚に集中する。 最も聴覚に示唆的な数値は音が 1 秒間で約 340m 進むということだ注 11。日常とはかけ離れたスケールの存在である。聴覚を用いな い人は視覚に集中する。最も視覚に示唆的な数値は日本においては尺貫法である。それは最も現実味を帯びた身体スケールであり、 多くの人々の馴染み深い。まずは 1 秒で 340m 進むということによって、時間と空間の方程式が成立している。それを木造軸組の 尺貫法というグリットの中に落とし込む時、翻って時間は圧縮され日常では体感できない、刹那の風景を知覚させてくれる注 12 。
▲fig.4 ——西洋と日本の比較芸術論的観点からの研究
低級なモノとは一般に汚濁物 / よごれなどは卑下されるものだが、ここでは価値あるものとして語られている イヴ アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス『アンフォルム 無形なものの事典』 ◀fig.5 ——人間の視覚の領域 中心視野が最も狭く、次いで、有効視野、周辺視野と続く 我々は普段有効視野を多く使い生活している 動きを認知出来る範囲まで含めると正面から左右に
(5)「絶対現場 (1987) 注 13」(fig.7)
日本には高度経済成長期に生まれた大量生産の木軸住宅が今なお多く存在している。それらを私たちは老朽化などを理由に簡単に 取り壊す。そして新しいものを建てるのだ。西洋ではレンガやコンクリートが主流であるため、耐用年数が長く、建築の更新頻度 は低いと言える。西洋と日本を比較した場合、乾式 / 湿式の違いはあるが建築の寿命に対する意識がかなり違うことがわかる。そして、 ここまでの音との並列的試行によって、日本の住宅でもただ建築を壊すのではなく、その劣化していく様も良さとして受け入れる ことが、日本人が古くから持っていた価値観であることがわかった。であるならば、音楽によって壊されるはずの建物に命をもう 一度吹き込み、一回性を帯びた存在に変容させたい気持ちは理解できるだろう。
つまり、日本に遍在する既存木軸は全て今回作品として示す可能性を全て有していた、しかし 1987 年に鈴木了二氏がやろうとした ことに重ねる形で完成を見せることによって、より強いメッセージ性を帯びるだろう。また、絶対現場の思想と今回の研究が強く 結びついたのは、この時代の建築家が感じてきたことと今回の設計が強く結びついたことにも他ならない。
注 10:U・ナイサー『認知の構図 人間は現実をどのようにとらえるか 』 注 11:音速(m/ 秒)=331.5+0.6× 気温(℃) 気温約 15℃で 340(m/ 秒 ) 注 12:Ono Yoko『Eye Blink』では瞼の動きをコマ撮りで撮影し、コマ撮りのリズムと瞬きのリズムのずれを体験させることでこれを示した 注 13:概要を説明すると、まず、1987 年に木造住宅を壊し、新たにその敷地にビルを立てるという現代ではよくある計画があった ここで、鈴木了二氏は この計画に待ったを唱え、ありふれたこの住宅をあえて破壊ではなく、解体によって木軸のみを綺麗に残し、建設という行為の巻き戻しを図る そして短期 の耐震構造の目的で金属ワイヤーを配し、一階部分のみ 3 分6板のガラス板を T 型鋼製束を要所要所に用いつつ全体にはめ込んだ その後具体的な意図を知 らずにこの建築の魅力に惹かれ集まった人々の前でハンマーを用いてガラス床を割り、動画に収めたのだ
まとめー途中経過としての聴覚世界と語りの複数性 結び
その後、比較芸術的観点からの研究を踏まえ、聴覚世界の事柄を中心に一年考えたことの集大成として、鈴木了二氏の「絶対現場」 の肩を借りる形で既存木軸を敷地とする設計に至った。ここまではそのアウトプット以前までの研究過程を時系列に沿って述べて きた。最終的なアウトプットは下図である (fig.8)。表題でもある視覚を越えた存在認識の必要性はとても重要な議題となると考える。
それは今日、メディアの複雑化や情報伝達技術の向上によって、多くの人が視覚と言う媒体のみで日常生活と接続するようになっ ているからだ。一見、多くの情報に一度に触れることができ、便利になったと感じることが多いが、私は今の状況にとても違和感 を覚え、生活のし辛さを感じる。それは、写真や映像という視覚を用いた情報に満たされ、これまで私たちが行なってきた五感を 活かした生活が希薄化しつつあると感じるからだ。
ここまでの研究においては特筆して聴覚との関係性を考えていったが、他の感覚器はどうだろう。この研究の過程でわたしは聴覚 のみに注目した。だがそれでは、視覚のヘゲモニーに取って代わる形で聴覚が台頭し、時間が経てばまた不自由に感じてしまうだ ろう。では、本来私たちが目指すべきは聴覚が占有した世界ではなく、さまざまな感覚器を振るわせる空間ではないか。とわいえ、 最終的なアウトプットは聴覚世界を目指したが、他の器官も喚起されるようなものとも言える。つまり、この道筋とは違った感覚 器に注目した語り方でも最終的なアウトプットに辿り着くのではないかということである。1 つの作品に対して様々な語り方がある のはとても素敵だと感じる。また次のアウトプットにおいてこのことについて考えてみたい(語りの複数性)。
fig.6.1 ——森 ( 茨城県 御岩山 散策路 ) 撮影 : 江原悠介 周辺視野的空間による他感覚の活性化