IAPH 70th Anniversary Booklet (Japanese)

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The Ports and Harbours Association of Japan

Foundation for IAPH

世界港湾持続可能性プログラム(WPSP) IAPHサステイナビリティ・アウォード ポート・エンデバー・ゲーム(Port Endeavor Game)

感謝のことば

親愛なる会員および世界港湾会議参加者の 皆様、IAPHの70年間にわたるグローバルな 協力の証である「国際港湾協会70周年記念小 冊子」を発行できたことに感謝申し上げます。第 33代IAPH会長として、このような歴史的な節 目に当協会のリーダーシップに貢献できることを 大変誇りに思います。この小冊子は、IAPHの 設立以来、その歩みを支えてきた永続的な協力 の精神を称えるものです。

IAPHの誕生の地である神戸で、70周年記 念の世界港湾会議を開催できることを大変光栄 に思います。70年以上前の1952年、日本の 神戸大学で歴史的な会議が開催されました。そ こでは、日本港湾協会会長であり、内務省代表 であった松本学氏と、神戸市長の原口忠次郎氏 が、IAPHの基礎を築きました。最初の会議は、 主にアメリカと日本の港湾関係者で構成されてい ましたが、その後、世界各国の港湾間の国際協 力を促進するという共通のビジョンによって推進 されました。このビジョンは、1955年にロサン ゼルス港が主催した第1回世界港湾会議で具現 化し、IAPHの正式な設立が宣言されました。

IAPHの初期の時代を振り返ると、1963年 に初代事務総長(1955~1967年)である松 本学氏が提唱した「世界平和は貿易を通じて達 成され、貿易は世界の港湾を通じて達成される」 というモットーは、今もなお響き続けています。こ のビジョンが、港湾がグローバル貿易の繁栄に 果たす重要な役割を今なお示していることは、歴 史の皮肉と言えるでしょう。

個々の港湾が数十年にわたり適応と変革を迫 られてきたように、IAPHもまた同様の道を歩ん できました。2016年の定款改正以来、当協会 は港湾部門を超えた範囲に拡大し、広範な海運 業界および関連する利害関係者との連携を強化し てきました。この変革は、IAPHの関連性と影響 力を世界6地域すべてにおいて強化してきました。

気候変動とエネルギー、データ連携、リス クとレジリエンスという3つの戦略的柱を軸に、 IAPHは会員に具体的な価値を提供し、一旦退 会した会員の復帰を歓迎し、新たな会員を惹き つけてきました。私の2期目のIAPH会長として、 デジタル化とスマートインフラの加速、持続可能 な港湾開発の推進、レジリエンスの強化、次世 代の港湾専門家の育成を通じて、これらの柱を さらに深化させることをお約束します。

今日の多くの課題は過去の課題と共通してお り、私たちは先人たちの先見の明とリーダーシッ プから引き続きインスピレーションを得ています。 その遺産は、この記念冊子に刻まれています。 同時に、現在のIAPH理事会、評議会、事務 局員、会員の貢献にも焦点を当てたいと思います。 彼らがグローバルな協力精神への信念を持って いることが、私たちの進歩を後押しています。

この出版物の実現に多大なご支援をいただい た日本港湾協会および国際港湾協会協力財団に 対し、心より感謝申し上げます。

Mr. Jens Meier 国際港湾協会(IAPH)会長 ハンブルク港湾局 CEO

次の70年に向けて

国際港湾協会 (IAPH) 専務理事

国際港湾協会(IAPH)の設立 70 周年を記 念して、これまでの 70 年間にわたる目覚まし い歩みを振り返ります。歴史的な節目を通じて 形作られてきた私たちの遺産は、未来の課題や 機会に向き合う上での指針となっています。

国際海事機関(IMO)の事務総長 C.P. スリ ヴァスタヴァ氏は、ハンブルクで開催された第 14 回 IAPH 世界港湾会議で、当協会が 50 周年 を祝った際、当時までの協会の歩みを象徴する 3 つの特徴を指摘しました。それは、船舶の大 型化とコンテナリゼーションの進展、開発途上 国への技術支援の必要性、そして未来の人材育 成を目的とした世界海事大学の設立です。これ らのテーマは、当時と同様に現在も重要な課題 であり続けています。

技術委員会メンバーは、ますます高度化する サプライチェーンや新燃料で駆動する船舶に対 応する、強靭(レジリエント)な港湾インフラ 開発のためのツールに焦点を当てています。彼

らの取り組みは、開発途上国と先進国間のデジ タルと物理的な格差を解消し、脱炭素化、デー タ共有、気候変動への適応と緩和、安全性、セ キュリティの面で、どの港も取り残されないよ うにすることを目指しています。港湾が急速に 進化する中、人材のスキル向上と新規人材の確 保は、成功の重要な要因となっています。

私たちの歴史は、数々の画期的な成果に彩ら れています。1960 年代に国連と国際海事機関 (IMO)から認められたことで、私たちは海事政 策決定の最高峰の場で役割を果たす存在となり ました。当初は安全性を重視する活動が中心で したが、IAPH は 2017 年以降、加盟国や他の NGO と協力し、環境、安全、貿易円滑化に関 する 42 件の港湾に関連する提案を提出してき ました。1993 年のシドニー IAPH 世界港湾会 議で提案された「環境船舶指数(Environmental Ship Index)」プログラムは、14 年間にわたり 運営され、現在では 70 を超える港湾が参加し、 6,000 隻以上の船舶にインセンティブが付与さ れています。さらに気候変動対策の先駆的な取 り組みを基盤に、当協会は 2018 年に「世界港 湾持続可能性プログラム(WPSP)」を立ち上げ、 すべての国連持続可能開発目標(SDGs)をカ バーする取り組みを開始しました。現在、71 カ 国 195 の港湾が参加する 500 を超える共同プ ロジェクトが進行中です。

この豊かな遺産は、私たちの会員、リーダー、 そして人々によって築かれてきました。創設者 が世界の港湾を結びつけたように、私たちは港 湾運営の卓越性とレジリエンスを推進していま す。これからも共に、世界中の港湾の公益促進 に向け、持続可能性を推進し、繁栄する海洋の 未来を形作っていきます。

古市 正彦

国際港湾協会(IAPH)事務総長

国際港湾協会(IAPH)設立70周年を記念し、 小冊子『国際港湾協会(IAPH)70周年記念冊子』 の発行するに当たってご尽力いただいた皆様に 心より感謝申し上げます。この小冊子は、当協 会の歴史、現在の状況、および今後の方向性を 網羅した内容となっています。

IAPHは、1955年に、世界中の港湾管理者、 港湾オペレーター、物流や海運サービスを含む 港湾関連企業、その他の港湾および海運関係者 が参加する非政府組織(NGO)として設立さ れました。現在、IAPHは89カ国、約190の 港湾および約170の港湾関連企業を代表して います。

1955年、初代事務総長である松本学は「港 は競争のためではなく、協力のために存在すべ

きである」との協会の目標を掲げました。松本 は、Ports and Harbors 誌 1963年3月号の記 事の中で「今日の世界平和と人類の幸福は、も はや、個々の国に固有の政治や政治戦略だけで は達成することはできず、相互依存と良き隣人 関係という精神に基づく世界貿易によってのみ 実現できる」と述べています。しかし、世界貿 易の促進は、世界のすべての港湾がその機能を 十分に発揮できるように完璧に整備されない限 り、実現することはできません。この意味で、 彼はIAPHのモットー「世界平和は貿易を通じ て達成され、貿易は世界の港湾を通じて達成さ れる」を提唱しました。

IAPHが設立されてから70年が経過し、今 日の世界はIAPHの創設者が思い描いたものか らはほど遠い状況にあります。そのすべてが始 まった神戸の地において、私たちは、世界の港 湾および海運産業の持続的な発展を推進すると いう決意を改めて確認しなければなりません。

今後70年間に、当協会は「世界平和は貿易 を通じて達成され、貿易は世界の港湾を通じて 達成される」というモットーを実現するために、 その役割と活動をさらに強化していくと確信し ています。

IAPHのさらなる発展とご多幸をお祈り申し 上げます。

お祝いのメッセージ

国際港湾協会(IAPH)が1967年10月に 国際海事機関(IMO)の諮問資格を取得して 以来、両組織の関係は深まり、共に発展してき ました。それは「より安全で、より確実に、より 効率的な海上輸送を、よりクリーンな海の上で 実現する」という共通の優先課題の下に築かれ てきたものです。

港湾は海事分野において独自かつ不可欠な役 割を果たしています。世界の貿易の8割以上を扱 う玄関口として、港湾は船舶が人々、地域社会、 そして国家経済と直接つながるハブの役割を果た しています。港湾における日々の運用は、安全や 保安、汚染防止、貿易円滑化といったIMO条 約の成果が具体的に現れる場でもあります。

長年にわたり、IAPHはIMOのグローバル な枠組みを現場での改善につなげる、信頼でき るパートナーであり続けてきました。初期の協力 関係は、国際貿易の拡大や船舶の大型化に伴 い、安全性に重点が置かれていました。IAPHは、 船舶交通サービス、船舶通報制度、航路信号と いったIMO規制の策定に専門的知見を提供し、 海上交通の安全向上と港湾運営の効率化に貢 献してきました。

2001年9月11日の悲劇的な事件の後には、 両組織の協力により国際船舶・港湾施設保安 コード(ISPSコード)が採択され、世界の港湾 保安に新たな時代が開かれました。

環境面においても、IAPHは船舶からの排出 削減を目指すMARPOL条約附属書VIの継続 的な策定に有益な提言を行ってきました。さらに、 港湾の積極的な支援は、温室効果ガス(GHG) 排出削減に向けた港湾と海運の自主的協力を奨 励するIMO海洋環境保護委員会(MEPC)の 決議にも反映されています。そこには、グリーン シッピングを促すインセンティブ制度の推進や、 低炭素・ゼロ炭素燃料の安全で効率的な取り扱 い・燃料補給の支援といった取り組みも含まれて います。今後、IMOのネットゼロ枠組みを実行 に移す過程において、港湾は低・ゼロ炭素燃料 への移行を可能にするインフラ整備を支える重要 な役割を担うことになります。

また、デジタル化の進展や新たな保安上の脅 威に対応するには、これまで以上に緊密な連携 が求められます。海事シングルウィンドウ、サイ バーセキュリティ、ジャストインタイム寄港といっ たIMOの取り組みに対するIAPHのリーダーシッ プと貢献は、強靭で安全なサプライチェーンを構 築するための国際的な取り組みを支えるうえで不 可欠です。

IMOを代表し、IAPHが70年にわたり世界 の港湾コミュニティの発展に尽力してこられたこと に、心よりお祝い申し上げます。そして、人々と 地球のために、より強靭で持続可能な海運セク ターを共に形づくるパートナーシップが今後も続 くことを期待しています。

Mr. Arsenio Domínguez

国際海事機関(IMO)事務総長

~港湾による、港湾のための協会~

世界初の世界港湾会議というビジョンから生まれ、「貿 易の促進を通じて世界平和を築く」という理念に支えられて、 国際港湾協会(IAPH)の設立は戦後日本ならではの画期 的な創設であった。

IAPHは、先見性と野心に富み、急速に発展し、国際 的に認知された非政府組織(NGO)として、国際機関に 対する諮問機関の資格を有する団体へと成長した。1970 年代の経済危機を乗り越え、運営基盤を支える基金(その 後の国際港湾協会協力財団)を創設したことで財政的安 定を確保し、21世紀に入ってからも、世界貿易の性質や 会員港のニーズの変化に柔軟に対応し続けている。

振り返れば、IAPHが隔年で開催してきた世界港湾会議 の記録は、まさに組織の歴史を映すタイムカプセルとも言え る存在であり、それぞれの時代において、IAPHと会員港 が変化する世界にいかにして適応してきたかを表している。

IAPHの歴史

はじめに

最初の会議

IAPH世界港湾会議は、協会そのものよりも 古い歴史を持つと言っても過言ではない。1951 年の秋、松本学は、かねてより念願であった「世 界初の国際港湾会議の日本開催」という構想を 実現すべく、当時神戸市長であった原口忠次郎 博士のもとを訪れた。松本にとってこの構想は、 彼が約30年前に設立した日本港湾協会以来の 悲願であった。

まずは、アメリカ港湾協会(ワシントンD.C.) やロサンゼルス商工会議所に対して開催趣旨へ の賛同を呼びかけ、イベントの予算確保という困 難な作業が始まった。日本との定期航路を有す る国々には招待状が送られ、大使館を通じて広 範な参加を促した。1952年に神戸で開催され た世界港湾会議には、アジア6カ国、米国各地 の港湾から15名の代表者、さらに16カ国から

IAPH創設の父

松本学 1886 - 1974

オブザーバーが参加した。会議においては、東 アジアの代表団から「新たな国際港湾協会の創 設」を支持する声が上がり、ロサンゼルスの代表 者も第2回世界港湾会議の開催に前向きな姿勢 を見せた。

1952年10月9日の朝、神戸のオリエンタル ホテルのロビーにおいて、日本と米国の参加者に より以下の3つの提案が協議された。1)世界 の港湾を対象とした新たな常設国際協会を創設 すること、2)その常設組織の運営は日本港湾 協会に委ねること、3)次回の国際港湾会議を ロサンゼルスで開催すること。この3つの決議案 は全会一致で採択された。こうして「国際港湾 協会(IAPH)」および「世界港湾会議(World Ports Conference)」という二つの柱が、まもな く現実のものとなったのである。

1889 - 1976

IAPHの設立 1955年

1952年、神戸で開催された世界港湾会議に 続き、常設的な組織の設立を目的とした第1回 IAPH世界港湾会議がロサンゼルスで開催される こととなった。この会議は最大限の参加者を確保 するために1955年11月まで延期され、国際港 湾協会(IAPH)の設立総会として記憶される歴 史的な場となった。

新たな国際協会設立の決定は、参加者から 明確な支持を得ていたが、最初の会長を誰が務 めるかという点については結論が出ていなかった。

アメリカ側からの強い要請にもかかわらず、提唱 者である松本学は初代会長就任を固辞した。彼は 「日本が協会を主導しているような誤解を与える

べきではない」との見解を持っていたためである。

その結果、アジア・ヨーロッパ・アメリカの三地 域からなる選考委員会が設置され、以下の人事 が決定された。

会長:Bennett J. Roberts(カナダ)

第一副会長:John Iwar Dahlin(スウェーデン)

第二副会長:Ching-wen Chen(中国【当

時の台湾】)

合計14名の理事が選出され、理事会が開催さ れた。この会議において、IAPHの本部事務局 は東京に設置されることが決定された。

また、松本学はIAPHの初代事務総長に任 命された。彼は、出席した代表者たちに対して、 協会の理念をこう語っている。「港湾は常に協力 のために存在すべきであり、競争のためにあるべ きではない。」なお、この1955年会議は、ロサ ンゼルスのルーズベルト・ホテルで撮影された集 合写真でも記憶にとどめられている。この象徴的 な写真は、今なお、港湾界における国際的な専 門家たちの連帯と、太平洋を越えた協力関係に 根差したIAPHの精神を象徴する一枚として語り 継がれている。

1956–1959年

コンテナリゼーションの幕開け

1955年にロサンゼルスでIAPHが設立され た際、定款には「協会の会議は3年ごとに開催 されるものとする」と明記されていた。したがっ て、次の会議が1959年にメキシコで開催され た際、その写真に「第2回三年次会議」と誇ら しげに記されていることに、読者が混乱するかも しれない。

これは、当初開催予定であった国での経済的 困難により、会議が1年延期され、新たな開催 地としてメキシコが選定されたためである。また、 通算では第3回の会議であるが、三年次開催と いう方針に基づいたものとしては第2回IAPH世 界港湾会議に当たる。

1959年6月、メキシコシティで開催された 第2回IAPH世界港湾会議は、同国の大統領 Adolfo López Mateosによって開会され、13 カ国から191名の参加者を迎えた。新たにフラ ンスやオーストラリアといった国々も加わった。当 時、コンテナリゼーションはまだ黎明期にあった が、本会議はこの新技術が世界の港湾に及ぼす 影響を意識するうえで、大きな節目となった。会

議では、「港湾管理と利用に関する委員会」が新 設され(もう一つの主要委員会は「貿易と国際 関係に関する委員会」)、計22本の論文発表の 多くがこのテーマを取り上げた。

また、この会議では名誉会員制度の創設が承 認され、会議の合間を繋ぐための常任理事会も 新たに設置された。予期せぬ遅延もあったものの、 IAPHは今日我々が知っている姿に向けて小さい ながらも着実にその歩みを進めていった。

1959年メキシコシティ第2回IAPH世界港湾会議で歓談する Zermeño Araico提督 と 第3代 IAPH 会長 Lloyd A. Menveg (ロサンゼルス港)

1960–1963年

JFKからの励ましの言葉

1963年にニューオーリンズで開催された第3 回IAPH世界港湾会議は、アメリカ合衆国大統 領John F. Kennedyからの歓迎メッセージで幕 を開けた。

「我々は、自由世界の港湾を代表する皆様を この国に歓迎します。世界貿易の促進に向けた皆 さんの努力は、あらゆる地域の人々の生活水準 の向上と、世界平和という人類の大きな目標に 貢献しています。本会議の成功を心より祈念しま す。John F. Kennedy」

5月1日から4日まで開催されたこの会議に は、13カ国から138名が参加し、ベルギー、 コロンビア、イスラエル、英国といった新たな国々 も加わることで、Kennedy大統領の言葉通り成 功裡に終わった。また、並行開催された「ミシ シッピー・バレー世界貿易会議」との連携による 恩恵を受けた。この会議は、IAPHの組織的な 成熟期の始まりを象徴するものであり、大きな決 定事項の一つとして、IAPHを3つの地域に分け る「三地域体制」の導入が挙げられる。すなわち、 アメリカ大陸、ヨーロッパ・アフリカ(地中海を 含む)、そしてアジア(オセアニアとペルシャ湾を 含む)という区分である。

さらに、これまで3年ごとに開催されていた会 議の間隔を2年に短縮することが決定された。こ の決定により、IAPH世界港湾会議は、半世紀 以上にわたり隔年開催というスタイルを継続する ことになる。

こうした改革は、1959年のメキシコでの第2 回IAPH世界港湾会議以来続いてきた組織強化 の一環であり、常任理事会の単独開催や常設委 員会(現在の技術委員会の前身)の創設といっ た取り組みとともに進められた。

なお、この会議も開催地の変更により1年延 期されたが、IAPHの発展に向けた歩みは着実 であり、揺らぐことはなかった。

1963年ニューオーリンズIAPH世界港湾会議で、創設の父・原口 忠次郎に囲まれ、第4代IAPH会長(任期1961-63) Jen-Ling Huang(当時の中華民国)が第5代IAPH会長John P. Davis(ロ ングビーチ港)を祝福

1963年ニューオリンズIAPH世界港湾会議にて、参加者は同市の名高い蒸気船による港湾見学を楽しみました

ロンドンにおける飛躍

IAPHが世界の港湾を代表する効果的な組織 であり得る理由は、以下の3つの組織的要素に ある。すなわち「国際的に認知された非政府組織 (NGO)であること」、「主要な国際機関に対す る諮問機関の資格を有すること」、そして「真に グローバルな基盤で運営されていること」である。 設立当初、これら3つの要件はすべて、IAPH が将来的に達成すべき長期目標として掲げられて いた。そのすべてが、協会設立10周年にあたる 1965年の第4回IAPH世界港湾会議の時期に 達成された。この記念すべき会議は、1965年5 月10日から14日にかけてロンドンで開催された。

会場となったのはリージェント・ストリートに あるカフェ・ロイヤル(現在のホテル・カフェ・ ロイヤル)で、議長はロンドン港湾局(Port of London Authority)のSimon子爵が務め、パ トロン(後援者)としてEdinburgh公が名を連 ねた。参加者数は前回の2倍に達し、欧州港 湾を中心とした急激な会員増加を反映するものと なった。当時の事務総長であった松本学は「そ れまでヨーロッパはIAPHにとって難攻不落の要 塞であった。」と回想している。

会議では、開発途上国支援のために、国際 連合(UN)、世界銀行(World Bank)、経済 協力開発機構(OECD)といった国際機関との 連携を深めることの重要性が議論された。実際、 会議ではすでに事前協議を重ねていた国連経済 社会理事会(ECOSOC)のJ N Bathurst代表

が、IAPHとECOSOCとの関係構築に向けた 手続きについて説明を行った。

その翌年、IAPHはECOSOCからNGOと してのカテゴリーB諮問資格を付与され、その後、 国連貿易開発会議(UNCTAD)や国際海事機 関(IMO)への諮問機関の資格も獲得するに至っ た。近年、ロンドンはIAPHにとってさらに重要 な拠点となっている。IMO本部が所在するのみ ならず、英国港湾協会(BPA)のパーク・ストリー トの事務所にIAPHヨーロッパチームの活動拠 点を構えている。また、技術委員会の年次対面 会議の開催地としても定着している。

これらの発展は、IAPHが長年培ってきた国 際協調の伝統の延長線上にある。松本学も後に 「IAPHが真に国際的な組織となったのは、ロ ンドン会議の成果によるところが非常に大きいと 言っても過言ではない。」と述べている。

1965年ロンドンIAPH世界港湾会議で演説する第7代IAPH会長・ 原口忠次郎(神戸港)

1967–1969年

神戸市長の手腕

1967年、IAPHは生誕の地、日本に帰還 することとなった。東京で開催されたこの年の第 5回IAPH世界港湾会議は、日本政府にとって も国家的な意義を持つ行事として位置づけられ た。運輸大臣が組織委員会の委員長に任命され、 IAPH代表20名が皇居にて天皇皇后両陛下の 御接見を受けた。

このような重要な場に相応しく、会議では神 戸市長の原口忠次郎博士(写真掲載)が第7 代IAPH会長に選出された。原口は、1952年 に開催された国際港湾会議の神戸開催を実現さ せた立役者であり、同市を国際都市へと成長さ せるために約20年を費やしてきた人物である。

港湾施設の近代化や物流インフラの整備など、 世界的なコンテナリゼーションの潮流を見据えた 都市づくりを先導してきた。

神戸港のみならず、IAPH会員港の多くが、 コンテナリゼーションが貿易の在り方を根底から 変えるとの認識を共有していた。1967年の会議 においては、コンテナリゼーションおよび世界の 港湾開発の2項目が最重要議題として取り上げ られた。

この流れの中で、ラテン・アメリカ、アジア、 中東地域の港湾支援を目的とした「IAPH技術 支援基金(Technical Assistance Fund)」の 設立が提案された。また、この動きは2年後の

1969年、南半球で初めて開催されたメルボルン での第6回IAPH世界港湾会議においてさらに 本格化する。なお、同会議にはソビエト連邦も初 めて参加していたことが特筆される。

この時期、2年ごとの会議以外でも重要な展 開が進行していた。1967年、IAPHは国際海 事協議機関(後のIMO)から正式に諮問機関 の資格を有するNGOとして認定された。また、 会員の急増に対応すべく、東京の本部事務局は 拡張移転し、業務の近代化を図った。その一環 として、機関紙であった「ニュースレター」と季 刊誌「Ports & Harbors誌」を統合し、月刊の 統一出版物として再編した。

この「Ports & Harbors誌」は~神戸との 強い結びつきと同様に~今日に至るまで、IAPH にとって不変的な存在であり続けている。

第2代IAPH事務総長・秋山龍 (右)1969年メルボルン IAPH世 界港湾会議にて

東京, 1967
メルボルン, 1969
東京, 1967

1970–1973年

国際港湾協会協力財団の設立

1960 年代末まで、IAPH は持続的な発展を 遂げ、国際的な評価を確立し、さらに会員数も 順調に増加していた。しかしながら、この IAPH の発展は 1970 年代初頭を特徴づける世界経済 の激動の影響を受けざるを得なかった。IAPH は 1971 年のニクソン・ショック(米国の金本位 制を離脱と変動相場制への移行)および 1973 年の第一次オイル・ショック(中東戦争をきっか けとする原油価格の急騰)という二重の打撃に対 してとりわけ脆弱であった。

これらの環境変化は IAPH の財政的持続可 能性と運営拠点の合理性に深刻な影響を及ぼし た。当時、日本(東京)に所在していた IAPH 本部は、会費を米ドル建で受領していたため、円 高により円換算での収入が減少し、同時に国内 での円での運営コストは相対的に上昇していたの である。

こうした厳しい財政状況の中、1967 年に 初代 IAPH 事務総長・松本学の後任として第 2 代 IAPH 事務総長に就任していた秋山龍は、 日本の海事関係財団の資金調達手法を参考に、 「IAPH 本部事務局維持財団(IAPH Head Office Maintenance Foundation)」(後の国 際港湾協会協力財団)の創設を提案した。この 財団は、日本国内の企業や団体からの寄付によ り日本国内法に基づいて設立され、IAPH 本部 運営のための経費を会費収入やその他の収入と あわせて支える仕組みであった。1972 年 5 月、 ポルトガル・リスボンで開催された常任理事会に おいて、この構想は基本的に承認され、翌 1973

年 1 月には日本政府より財団設立に関する正式 な認可が下りた。

残る手続きとしては、1973 年 5 月、オランダ・ アムステルダムで開催される第 8 回 IAPH 世界 港湾会議での承認を待つのみであった。この会 議は、IAPH にとって運命を分ける重大な局面と なった。もし同財団が承認されなければ、3 年 連続となる会費の大幅値上げは避けられず、最 悪の場合、協会の解散も現実味を帯びていた。

秋山事務総長は緊急動議にて「ニクソン・ ショック後の円高と日本国内の高インフレにより、 IAPH の財政は極めて深刻な状況にある」と訴え た。その結果、同財団創設の提案は全会一致で 承認され、IAPH と同財団の代表者が合意書に 署名し、1973 年 6 月より同財団は正式に設立さ れた。

これにより、IAPH の将来は安泰になった。

1971年モントリオールIAPH世界港湾会議の閉会式で新会長として 就任演説を行う、第9代IAPH会長A. Lyle King(ニューヨーク港)

1973年業務委託協定に署名する第5代IAPH会長A. Lyle King、国際港湾協会協力財団会長・秋山龍、そして第3代IAPH事務総長・佐藤肇

公益財団法人 国際港湾協会協力財団 創設寄付者

(財)日本船舶振興会(当時)

日本海事財団(当時)

(社)日本船主協会(当時) (社)日本港湾協会(当時)

東京都

横浜市

名古屋港管理組合

神戸市

川崎市

四日市市

北九州市

大阪市

広尾町

福岡市

平良市

日本郵船株式会社 ジャパンライン株式会社(当時)

大阪商船三井船舶株式会社(当時)

川崎汽船株式会社

山下信日本汽船株式会社(当時)

昭和海運株式会社(当時)

新日本製鐵株式会社(当時)

日本鋼管株式会社

秋山龍

1974–1979年

拡大の時代

1970年代初頭、IAPHは経済的逆風に直面 しながらも、IAPH本部事務局維持財団の設立 という果断な対応によって難局を乗り越えた。そ の後、協会はさらなる発展の時代へと歩を進め ることになる。1973年8月、国連貿易開発会議 (UNCTAD)は、IAPHをNGOの諮問機関と して正式に認定した。これにより、IAPHはすで に諮問機関の認定を受けていた国連経済社会理 事会(ECOSOC)(1966年)および国際海事 機関(IMO)(1967年)に続き、3つの主要 な国際機関に対し意見具申が可能な立場を確立 した。これに併せて、IAPH理事がこれら機関と の連絡役(リエゾン)として任命され、より円滑 な情報伝達と連携が実現されていった。同時に、 IAPHの各種委員会の活動はより専門的かつ意 欲的なものへと進化していった。

1975年にシンガポールで開催された第9回 IAPH世界港湾会議では、新たに会員拡大およ び国際的な認知度向上を目指す委員会が設置さ れた。さらに、1977年にヒューストンで開催され た第10回IAPH世界港湾会議では「地域社会 との関係構築(Community Relations)」に関 する特別委員会が創設され、港湾の役割に対す る地域社会の理解を深める手法について研究が 行われた。1979年にフランスのル・アーブル港 近郊のドーヴィル・カジノで第11回IAPH世界 港湾会議が開催されるまで、これらの特別委員 会が毎月開催され、具体的な政策提言を行うま でに成長していた。

同年の会議のテーマは「世界の港湾の未来」 であり、参加者は66カ国から約500名にのぼっ

た。基調講演を行ったのは1973年にノーベル 経済学賞を受賞したロシア系アメリカ人経済学者 Wassily Leontiefであった。彼は講演において、 1970年から2000年の間に「世界貿易量はおそ らく4倍になるだろう」と予測し「それに見合う 規模の港湾投資が必要であり、同等の利益が期 待できる」と述べた。講演では、港湾投資の手法、 主要貨物の変動傾向、コンテナ貨物の増加、港 湾の効率化など、極めて具体的かつ網羅的な内 容が提示され、参加者に深い印象を与えた。講 演後の質疑応答は約1時間に及び、参加者たち は21世紀の幕開けに思いを巡らせた。

1974年に松本学、1976年に原口忠次郎と いう、IAPH設立の「父たち」が相次いで逝去 したことは、組織の黎明期の終焉を象徴する出 来事でもあった。しかしながら、IAPHは25周 年という節目を目前に控え、国際的な信頼と展望 を備えた組織へと確かな歩みを進めていた。

1979年ル・アーブルIAPH世界港湾で基調講演を行うノーベル経済学賞受賞経済学者Wassily Leontief

1980-1984年

25周年を振り返って

IAPHにとって1980年代は祝福と振り返りの 時代の始まりである。1981年5月、日本の名古 屋で開催された第12回IAPH世界港湾会議は、 設立25周年の節目を記念するものであった。会 議に先立ち、IAPHは創設者である松本学の東 京の墓、原口忠次郎の神戸の墓にそれぞれ記念 碑を建立し、敬意を表した。

東京の記念碑前での挨拶においてIAPH会 長Paul Bastard(フランス運輸省)は「水を飲 む者は、その井戸を掘った者を忘れてはならない」 という中国の古いことわざを引用した。

IAPHの25周年は、世界の港湾が直面する

課題解決の先導的役割を果たす決意を示すもの であった。この当時、世界各地でタンカー事故 が大きく報道されていた。1978年3月には、フ ランス・ブルターニュ沖でタンカー「アモコ・カディ ス号」が座礁し、22万トンもの原油を流出させ る史上最大の海洋汚染事故が発生した。1980 年代初頭には、コペンハーゲン、オマーン、シン ガポールの港湾外での衝突や爆発事故が相次 ぎ、航路の閉塞や港内航行の妨害、さらには環 境破壊と人的被害へとつながる重大なリスクが顕 在化した。

名古屋で採択された決議は、この問題への改 革の方向性に影響を及ぼすべく、損害賠償責任 の適切な水準や、荷主および船主の責任をカバー する十分かつ実効的な保険の整備について提案 を行い、その後のIMCO条約改正に反映させる 決意を示した。

さらに、1983年のバンクーバーでの第13回 IAPH世界港湾会議でも決議がなされ、1984 年のIMO外交会議を前にIAPHの上級幹部と 改称後のIMO間で文書のやり取りが続いた。そ の会議においては、1969年の「油による汚染 損害についての民事責任に関する国際条約」お よび1971年の「油による汚染損害の補償のた めの国際基金の設立に関する国際条約」に対す る改正のための議定書案が採択された。同年、 IAPHは国際海運会議所(ICS)および石油会 社国際海事評議会(OCIMF)と共に「オイル・ タンカーとターミナルに関する国際安全指針」の 第2版を発行し、当時最も重要な海事問題に対 して港湾の視点を積極的に反映させる姿勢を示 したのである。

1981年東京での松本学追悼式典で挨拶する第13代IAPH会長Paul

名古屋, 1981

1983

Bastard(フランス運輸省)

1985-1987年

リーダーシップとパートナーシップ

長期にわたりIMO事務総長を務めたC P

Srivastavaは、1985年にハンブルクで開催さ れた第14回IAPH世界港湾会議において基調 講演を行った。この会議における彼の講演は、 IAPHの歩みと重なる30年にわたる海運の変遷 を振り返るものであった。

Srivastavaは、船舶の大型化、コンテナリゼー ションの影響、開発途上国に対する継続的な技 術支援の必要性、そして世界海事大学(World Maritime University)の設立をこの時代の主 要な出来事として挙げた。また、彼はIAPHと IMOの協力関係の重要性を強調したうえで、海 上安全と港湾効率の向上に寄与するIMOの諸 施策、特に船舶通航業務、船位通報制度、航 行管制信号に関する取り組みの支援において IAPHが重要な役割を果たしたことを指摘した。

この1980年代の終盤にはグローバリゼーショ ンとパーソナルコンピューターの普及が徐々に勢 いを増し、社会構造が根本的に変化しつつあっ た。技術と貿易におけるこうした大変革を踏まえ、 会議プログラムは港湾の管理運営が未来の課題 に対応できるよう支援することを目指していた。一 方で、会議のセッション外では参加者がハンブル クの旧倉庫街を訪れたり、ハンブルク歌劇場での 特別公演「カルメン」を楽しむこともできた。

この期間、IAPHは主要な決議を通じてキャ ンペーン活動を継続した。1985年のハンブルク での第14回IAPH世界港湾会議では、複合輸 送の非効率性を招く恐れのある標準コンテナサイ ズの変更に反対し、1987年のソウルでの第15 回IAPH世界港湾会議では座礁船舶や故障船 舶への対応にかかる費用に対する港湾の損害賠 償請求の問題を検討した。

後者の会議では、IAPHは国際関係を 強化し、税関協力理事会(CCC: Customs Cooperation Council)との間で覚書(MOU) 締結を決議した。CCCは情報収集や、特に薬 物密輸などの通関の不正行為防止において、税 関当局に対して多大な支援をするために設立され た組織である。

1994年、CCCは世界税関機構(World Customs Organization)へと改称され、今日 に至るまでIAPHの重要なパートナーであり続け ている。両組織はこの1987年の合意の精神に 則り、互いの任務と優先事項の理解を深める明 確な指針を発信し、世界貿易の発展に寄与して いる。

ハンブルク, 1985
ハンブルク, 1985

1988-1992年

接続性と防御

1980年代の終わりが近づくにつれ、IAPH の活動はデジタル化の進展と環境保護への取 り組みの高まりを反映したものとなった。1989 年の第16回IAPH世界港湾会議は10数年 振りにアメリカ合衆国で開催された。同年4月 には66か国から700名の代表がマイアミビー チのフォンテーヌブロー・ヒルトン・ホテルに集 い「大陸間の接続性(The Intercontinental Connection)」をテーマに議論が交わされた。

世界が急速なデジタル技術の発展によって 益々ネットワーク化されていく中で、この「接続性」 を重視するテーマは適切であった。会議プログラ ムには電子データ交換(EDI: Electronic Data Interchange)システムに関する討議が含まれ、 港湾の効率化のために技術活用の重要性が強調 された。

このマイアミでの会議開催は待望の米国復帰 を意味したが、協会自体はその半年前に米国内 での重要なイベントにも関与していた。ボルチモ アで開催されたIMOの「港湾開発の環境影響 評価に関するワークショップ」の開催に対し、2 万ドルの資金提供を行ったのである。

こうした環境への組織的な取り組みは、1991 年にスペイン国王Juan Carlos 1世の後援を受 けてバルセロナで開催された第17回IAPH世 界港湾会議にも引き継がれた。会議では環境に 関する決議が採択され、その内容は①環境計画 と管理、②危険物、③水質汚染の港湾開発およ び運営に対する影響の3つの主要分野に焦点を 当てていた。協会は、各会員港が港湾運営上の 意思決定において「経済的側面のみならず環境 的側面も考慮すべきである」という決議が採択さ れた。

この決議は、1992年の国連環境計画 (UNEP)地球サミットで導入されたIAPHの 環境指針の作成へと繋がった。現在の会議で の技術視察を先取りするかのように、バルセロナ での第17回IAPH世界港湾会議のセッション は1960年代のクルーズ船デザインの傑作である Eugenio Costa号の船上でも行われ、バレアレ ス諸島の港湾訪問も含まれていた。参加者にとっ て魅力的なプログラムの一部であったに違いない が、何よりも、海洋環境に対する共通の責務を参 加者に思い起こさせるには、その美しさを目の当 たりにさせることが最善の方法であったのである。

1991年バルセロナIAPH世界港湾会議の開会式(カタルーニャ音楽堂)に出席する参加者

マイアミ, 1989

持続可能性と強靭性(レジリエンス)

1990年代半ば、現在のIAPHの中核的テー マの二つである「気候とエネルギー」および「リ スクとレジリエンス」が、当時のIAPH世界港 湾会議の議題の最前線に掲げられ、その影響は 今日に至るまで続いている。1993年の第18回 IAPH世界港湾会議はオーストラリアのシドニー で開催され、開会式は世界的に有名なシドニー・ オペラハウスで行われた。

前年の国連環境計画(UNEP)地球サミット におけるIAPH指針の導入に続き、同会議では 船舶の港湾使用料に関する決議が採択された。

この決議では「IAPH会員港は環境に配慮した 機器で運航する船舶を奨励する制度を港湾料金 の構造に取り入れる可能性を含め、インセンティ ブの導入を検討すべきである」と明言された。

注目すべきことに、その翌年1994年1月、ロッ テルダム市港湾局は、分離式バラスト・タンクを 備えたタンカーに対して港湾使用料を10%減免 する措置を開始した。こうした環境に優しい船舶 に対する港湾インセンティブの初期の動きは、や がてIMOが認定する国際的な制度のひとつであ る環境船指数(Environmental Ship Index: 2020年以降はIAPHのイニシアチブ)に繋がる のである。

1995年6月、第19回IAPH世界港湾会 議は米国シアトルおよびタコマにおいて開催され、 顕著な強靭性(レジリエンス)の事例が報告さ れた。その年の初めには神戸市に壊滅的被害を

与えた阪神・淡路大震災のニュースが流れてい た。神戸市港湾局長の江口政秋は「港湾施設は 約110億ドルの被害を受けたものの、緊急の復 旧作業により水や食料、医療・救援物資を運搬 する船舶の迅速な受け入れが可能になった。」と 述べた。そしてロサンゼルス港からの救援物資は 名古屋港経由で輸送され、神戸復興の支援に貢 献した。

大震災発生から2ヶ月後の3月20日には、 神戸港での本格的なコンテナ貨物の取扱いが再 開され、最初の船舶がシアトルに向けて出港した。 神戸港は1999年にIAPH世界港湾会議の初開 催を目指していたが、震災のために断念せざるを 得なかった。四半世紀を経て、ついにその夢を 実現することになったのである。

シドニー, 1993

1993年シドニーIAPH世界港湾会議で音楽を楽しむ参加者(シドニー・オペラハウス)

タコマ, 1995

1995

シアトル/
シアトル/ タコマ,

1996 ~ 2000年

Y2Kへの舞台設定

1990年代初頭、IAPHは海事分野における 持続可能性のリーダーシップを発揮したが、同じ 1990年代の後半には、世界が注目するドットコ ムブームの変革的影響やY2K問題という計り知 れないリスクに対して目を向けた。

1997年、第20回IAPH世界港湾会議は 1965年以来初めて英国ロンドンに戻り、ロンド ン港湾局(Port of London Authority)が再 び主催者となった。開会式は6月1日にシェイク スピアのグローブ座で行われ(会場の公式開業 より数週間前)、会議の中では初の公式IAPH ウェブサイトのデモンストレーションや、IAPH 2000特別タスク・フォースが紹介された。この 特別タスク・フォースの使命は「新しい千年紀の 始まりに際し、IAPHが会員の要請に的確に対 応できるようにすること」であった。

1999年にマレーシアのクアラルンプールで開 催された第21回IAPH世界港湾会議はクラン 港湾局(Port Klang Authority)が主催者となり、 マレーシア首相Mahathir博士が基調講演の中 で「情報時代は到来しており、私たちはすでに様々 な変化を体験している。経済の繁栄は新技術を いかに適応・活用するかにかかっている」と述べた。

会議では「2000年1月1日を境にした電子 日付データ認識(EDR)システム障害の潜在的 影響に対する海運業界の脆弱性」に関する決議 が採択され、IMOのY2K良好実践規範の実施 を奨励することが会員間で合意された。

新たなIAPHウェブサイトは関連するY2K情 報サイトへのリンクや、ミレニアム開始時に目立っ た不具合を報告するための港湾向けページを設 置した。しかしながら、幸いにも、世界各地の会 員港から2000年1月1日に寄せられた報告は、 オークランド港からビンツル港まで全て「問題な し」であった。

1997年ロンドンIAPH世界港湾会議開会式の様子(シェイクスピア・グローブ座)

1999年クアラルンプールIAPH世界港湾会議で演説を行 うマレーシア首相Mahathir博士

2001 ~ 2004年

港湾セキュリティの強化

世界の港湾にとってY2K問題が何事もなく過 ぎ去ったことを受け、IAPHは新しい世紀を楽観 的に迎えた。それは第22回IAPH世界港湾会 議の遊び心あるテーマ「2001年:海のオデッセイ」 にも表れている。2001年5月に開催された同会 議は30年ぶりにカナダのモントリオールで開催さ れた。

同会議では「三千年紀の幕開けにおける世 界経済」といった先見性のあるテーマが取り上 げられた。しかしながら、開催から4ヶ月も経た ないうちに、米国ニューヨークおよびワシントン D.C.での9.11同時多発テロが発生し、未来に 対する予想は一変した。海運セクターの対応は 迅速であり、IMOは海上における対テロ対策を 強化するため、条約の改正、特別会議の開催、 専任の作業部会設置などの包括的措置を打ち出 した。

港湾は潜在的に脆弱な場所と見做され、港 湾当局はセキュリティに関する重要なステークホ ルダーと位置づけられた。2001年12月、IMO 事務総長からIAPH事務総長宛に対テロ対策へ の協力を要請する書簡が送られた。1年後には 2004年7月以降港湾に大きな影響を及ぼすこと となる「船舶と港湾施設の保安のための国際コー ド(ISPSコード)」に基づく「海上保安を強化 するための特別措置」がSOLAS条約で採択さ れた。

2003年に初めてアフリカで開催された第23回 IAPH世界港湾会議ではこれら大規模な変革を 支持し、また「世界税関機構(WCO)の保安 と円滑化に関するタスク・フォース」への加盟も 報告された。

2003年5月26日から30日にかけて南アフ リカのダーバンで開催された同会議は、SARS の影響にも拘らず、勤勉かつ団結した港湾専門 家グループによって盛況であった。不確実性が 再び高まる時代にあって、IAPHは未来に目を向 け(会議記録が初めてCD-ROMで配布された)、 また50周年を控え過去にも思いを馳せていたの である。

これには港湾施設の保安評価、港湾施設の 保安計画の実施、アクセス管理や監視設備の設 置を含む港湾施設の保安強化が含まれている。

2003年ダーバンIAPH世界港湾会議で会談する第24代IAPH会長 染谷昭夫(名古屋港管理組合)と開催地代表Siyabonga Gama(南 アフリカ港湾局)

2001年モントリオールIAPH世界港湾会議開会式でのモントリオール交響楽団の演奏

モントリオール, 2001

2003

2005 ~ 2007年

50周年の祝賀

IAPHのゴールデン・ジュビリー(50周年) の年は、2005年1月14日に東京での祝賀会 から始まった。約400名の参加者が集ったこの 行事は、協会の節目となる成果を記念しつつ、日 本の国土交通大臣から祝辞が贈られた。また、 同時に1ヶ月前に発生したインド洋地震津波へ の厳粛な追悼の場ともなった。

協会はこれを機に「自然災害に備え、その影 響を軽減するための効果的な準備に関する指針 の策定」を会員港に呼びかけた。その後、2005 年3月にはロンドン港湾局(Port of London Authority)の主催で欧州・アフリカ地域の記念 行事が行われ、5月には中国の上海で第24回 IAPH世界港湾会議が開催された。

強力なインフラ整備の推進が議題に取り上げ られ、中国が貿易および製造業のハブになるとい う壮大な目論見の中で港湾の重要性が強調され た。環境政策も議題に取り上げられ、その重要 性は2007年にヒューストンで開催された第25 回IAPH世界港湾会議でさらに増すこととなっ た。IAPH事務総長の井上聰史は「Ports & Harbors誌」で、ドキュメンタリー映画「不都 合な真実」が地球温暖化問題への意識を高めた と指摘し、「港湾は地球温暖化に取り組む責任 がある」と述べ、「解決策は体系的である必要が あり、一律の方法では異なる大気汚染レベルを 考慮できない」と論じた。

IAPHにとっての解決策は、ロサンゼルス港の Geraldine Knatzが委員長を務める港湾環境委 員会によって開発された「港湾クリーン・エア・ プログラムのためのIAPHツール・ボックス」と いうデジタル・ツールの形で示された。この取り 組みはヒューストンでの会議でも発表され、港湾 クリーン・エア・プログラムに関する決議が満場 一致で採択された。また、初の女性IAPH会長 として選出されたO.C. Phangの登場によってこ れら多くの分野での進展が裏付けられた。

2007年ヒューストンIAPH世界港湾会議の歓迎レセプションは、ヒュー ストン のダウンタウン水族館で行われました。

2005年上海IAPH世界港湾会議でのIAPHの新旧会長:第26 代IAPH会長H. Thomas Kornegay(ヒューストン港)と第25代 IAPH会長Pieter Struijs(ロッテルダム港)

2007年ヒューストンIAPH世界港湾会議でのIAPHの新旧会長:第 27代IAPH会長O.C. Phang(クラン港湾局)と第26代IAPH会長H. Thomas Kornegay(ヒューストン港)

2005年上海IAPH世界港湾会議で演技を披露するダンサーたち

2008 ~ 2011年

世界港湾気候イニシアチブ(WPCI)から環境船舶指数(ESI)へ

2000年代の終わりにかけて、世界的な景気 後退が海運業界を直撃する中でも、IAPHは環 境保護に注力し続けた。2009年の初め「Ports & Harbors誌」でIAPH事務総長の井上聰史 は「厳しい経済状況の中で持続可能性の道を見 失ってはならない」と強調した。

これは2か月前にロサンゼルスで立ち上げら れた世界港湾気候イニシアチブ(WPCI)を踏ま えた発言であった。WPCIは、世界の港湾コミュ ニティが協力して気候変動に取り組むためのもの であり、全ての寄港船舶を排出ガスの環境性能 に基づいて評価する指標化プロジェクトなど6つ の主要プロジェクトを柱としていた。

これらの野心的な取組みは、2009年5月に イタリアのジェノバ港湾局(Port Authority of Genoa)の主催で開催された第26回IAPH世 界港湾会議でも議論された。来る神戸会議を先 取りするかのように、会議プログラムは持続可能 性と経済的混乱とのバランスに焦点を当て、ジェ ノバ決議が満場一致で採択された。この決議は、 港湾が生産性向上に投資し、WPCIを通じて気 候変動に取り組むことを促すものであった。ガラ・ ディナーはジェノバの壮麗なドージェス宮殿(パ ラッツォ・ドゥカーレ)で行われ、ソプラノとバリ トンの歌手がその歌声を披露した。

その次の第27回IAPH世界港湾会議は 2011年5月初旬に韓国の釜山港湾局(Busan Port Authority)の主催で、2か月前に発生し 甚大な損害を日本に及ぼした東日本大震災の影

響下で開催された。なお、協会からIAPH地震・ 津波救援基金へ1万ドルを寄付する決議が採択 された。

また、この会議では2つの重要な決議が採択 された。1つはサプライチェーンにおけるコンテナ の安全性に関するものであり、荷主に対して、貨 物の適切な梱包と書類作成、特に出荷元での正 確な重量測定を義務付ける要請であった。もう1 つは、会員港および非会員港に対して、港湾イン センティブを用いて環境に配慮した船舶を奨励す る環境船舶指数(ESI)への参加を促すもので あった。WPCIは着実に成果を上げており、そ の主導役であったロサンゼルス港のGeraldine Knatzは満場一致でIAPH会長に選出された。

2009年ジェノバIAPH世界港湾会議で挨拶する第5代IAPH事務 総長・井上聰史

2011年釜山IAPH世界港湾会議歓迎ディナーで乾杯の音頭を取る第 28代IAPH会長Gichiri Ndua(ケニア港湾局)

釜山, 2011

2012 ~ 2015年

スマートポートと賢明な選択

2013年5月、IAPHは発祥の地であるロサ ンゼルスに凱旋し、第28回IAPH世界港湾会 議が同地で開催された。ここは協会設立の地で あり1955年には第1回IAPH世界港湾会議が 開催された場所でもあった。

約60年後、世界の港湾・海運政策の優先 課題は大きく変化していた。船舶燃料費の高騰と 過剰船腹能力に対応するため、船社間のアライア ンス形成が進み、統合型港湾運営会社がターミ ナル運営に進出する時代であった。巨大コンテナ 船(メガシップ)が急増し、港湾荷役機器の自 動化の拡大、IMOによる環境規制の強化、そし てLNG船舶燃料の使用拡大に対する港湾の対 応が進んでいた。

2015年6月にハンブルク港湾局(HPA)が 再び主催した第29回IAPH世界港湾会議では、 スマートポート構想を導入し、ビジネスのニーズ と環境保護を両立させるインテリジェント港湾管 理について議論された。同会議では、ニューサウ スウェールズ港のGrant Gilfillanに代わり、バ ルセロナ港のSantiago Garcia-MilàがIAPH 会長に就任した。

この会議では、IAPH評議会の構成、選挙 手続き、地域区分を含む新しい定款案が提案 され承認された。一方で、気候変動という重 要なテーマはハンブルクの同会議でも議題に上 り、同年後半にパリで開催されたCOP21にお いて、国際航路協会(PIANC)と共同で作成し

た2020年行動計画「変化する気候に対応する (Navigating a Changing Climate)」を発表 した。さらにIAPHはESIの最初の5年間の運 用結果を示し、その言葉を行動で裏付けたので ある。

2013年ロサンゼルスIAPH世界港湾会議にて、テープカットを行う 第29代IAPH会長Geraldine Knatz(ロサンゼルス港 executive director)

2015年ハンブルクIAPH世界港湾会議での参加者と報道関係者の港湾視察

2015

ハンブルク,

2016 ~ 2019年

世界港湾持続可能性プログラム(WPSP)の誕生

IAPH会長の言葉を借りれば「グローバルな 港湾・海運分野における重要な役割を組織に与 える」ことを目的とした新しい定款の採択を終えた ばかりのIAPHは、2017年にインドネシアのバ リ島で第30回IAPH世界港湾会議を開催した。

新しい貿易ルート、経済特区、港湾イノベー ションに関する議論が進む中、インドネシアで開 催されたこの会議では、協会の組織および戦略 のさらなる改革が確認された。世界港湾気候イ ニシアチブ(WPCI)の活動範囲を気候変動対 策から産業が直面する持続可能な港湾開発全般 に拡大し、国連の持続可能な開発目標(SDGs) 17項目を指針とすることが発表された。

新たなイニシアチブはIAPH世界港湾持続 可能性プログラム(WPSP)として、2018年3 月にアントワープで開催された2日間の特別な 国際会議で公式に立ち上げられた。この場には

IMO事務総長、ベルギー王妃、海事業界のリー ダーたちが参加した。この時点で、IAPHは重 要な定款改正を行い、初代 専務理事にPatrick Verhoevenを任命していた。

WPSPに提出されたプロジェクトを対象とする 新しい表彰制度には、世界各地の港湾から60 件の応募があり、新設のオンライン・データベー ス・ポータルに登録された。2019年5月に中国 の広州で開催された第31回IAPH世界港湾会 議のガラ・ディナーでその受賞式が行われた。

同会議では、一帯一路構想の影響や中国の インターネット経済の主導的役割を含む将来の 世界貿易の動向に焦点が当てられた。そして、こ の表彰行事は大変盛況に同会議の締め括りとな り、次なる変革への舞台が整えられるとともに、 今日の組織体制やIAPH世界港湾会議の開催 時期自体にまで及ぶものとなった。

IAPHの世界港湾持続可能性プログラム(WPSP)は、2018年3月にアントワープ港が主催するハイレベル・イベントで発足しました。

世界港湾持続可能性プログラム(WPSP)発足時にアントワープで会談するベルギーのMathilde王妃とIMO事務総長 Kitack Lim

2019年広州IAPH世界港湾会議で挨拶する第31代IAPH会長Santiago Garcia-Milà(バルセロナ港)

2020 ~ 2021年

パンデミックへの適応

2020年からの新しい10年間の幕開け に当り、IAPH世界港湾会議はその創設以 来、最も重要な変革を迎えた。2020年から は「新生IAPH世界港湾会議(World Ports Conference)」として、主催港が主催者を務め る形から、IAPHと協働するイベント会社が企画 運営を担当し、主催港はホスト・スポンサーとなっ たのである。

また、IAPH世界港湾会議の開催頻度は隔 年から毎年開催へと変更された。1960年代以 来中間年会議(西暦偶数年に開催)が行われて いたが、新たな頻度と商業的体制は、参加者に 一貫した高水準の内容重視のネットワーキング体 験を提供することを意図したものである。

新生の第32回IAPH世界港湾会議は2020 年3月にベルギーのアントワープで開催される予 定で450名の登録者を集めていた。しかしなが ら、開催数週間前に同国でのパンデミックによる ロックダウンが拡大し、中止を余儀なくされた。

それでも協会は挫けることなく、同会議を遠隔視 聴者向けの5日間テレビ放送形式に再構成し、 2021年6月に延期して開催した。この会議の後、 パンデミックが港湾やサプライチェーンに与える影 響を探るウェビナー・シリーズが画期的なプログ ラムとして実施された。このシリーズは、現在の IAPH「ハーバー・カフェ」イベントやサステナビ リティ・プレ・ウェビナーの標準となっている。

協会は、世界中の会員によるタスク・フォー スを組織しオンラインで会合を重ね、パンデミッ

クが港湾運営やグローバル・サプライチェーンに 及ぼす影響に対応するため産業界の知見を結集 した。この時期、Thanos Pallis教授とTheo Notteboom教授の貢献により、IAPH「ワールド・ ポート・トラッカー」報告書の前身である「港湾 経済インパクト・バロメーター」報告書も作成さ れた。

このデジタル版IAPH世界港湾会議は、アン トワープ港庁舎からのライブ配信に加え、事前に 録画された経営幹部(C-レベル)による基調講 演、討論、デモンストレーション、1対1インタ ビューを組み合わせて大成功を収め、600名の オンライン参加者を集めた。クラン港湾局のジェ ネラルマネージャーのCaptain Subramaniam KaruppiahがIAPH会長となった。

パンデミックに直面しても、IAPHは「行事は 続けなければならない」と誓ったのである。

パンデミックによるロックダウン期間中に開催された2021年アントワープIAPH世界港湾会議は、ライブ配信と録画コンテンツを組み合わせたハイブリッ ド形式のデジタルイベントとして実施されました。

変革と知見の共有

IAPHはIAPH世界港湾会議の再スケジュー ルを進めると同時に、会員拡大のためのチャネル やソーシャル・メディアの活用も拡充した。組織 内部では大きな制度変更が進行し、3つの主要 な技術委員会を軸とした再編成が行われるととも に、環境船舶指数(ESI)の運営権がIAPHに 取り込まれた。また、隔週発行の会員向けニュー スレター「IAPH Insider」も創刊された。

一方で、パンデミックという特異な就業環境 は産業振興を支援する出版物の発行を奨励し、 2021年9月には「港湾および港湾施設のサイ バー・セキュリティ・ガイドライン」が発表された。

同年には、IAPH世界港湾会議、隔月発行 の会員誌「Ports & Harbors誌」、そしてIAPH の母体ブランドにわたる改革と再ブランド化が完 了し、協会のウェブサイトも刷新された。アントワー プでのIAPH世界港湾会議のオンライン開催に 続き、2022年5月には、ロックダウンの緩和が 進むなかカナダのバンクーバーで第33回IAPH 世界港湾会議が対面で開催された。

同会議は、2019年の広州でのIAPH世界 港湾会議後では初めての対面での会員が集まる 会議となった。カナダのJustin Trudeau首相の ビデオ・メッセージで開会されたこのイベントで は、 世界銀行との協働によるグローバル港湾イン フラの「格差を埋める(Close the Gaps)」のた めの利害関係者の調査結果およびロードマップ

が発表された。また、前年に開始された港湾持 続可能経営シミュレーション・ゲーム「ポート・ エンデバー・ゲーム(Port Endeavor Game)」 のお披露目もされた。

その後、第1回IAPH「World Ports tracker」 報告書が発表され、続いて「格差を埋める(Close the Gaps)」報告書と「港湾のリスクと強靭性ガ イドライン」が公開された。この時期はIAPHに とって活気に満ちた重要な期間であった。

参加者に挨拶する第7代IAPH 事務総長・古市正彦

IAPHの3つの新しい技術委員会は、2022年バンクーバーIAPH世界港湾会議において対面で行われました。

バンクーバー, 2022
バンクーバー, 2022

エネルギー転換を牽引する 2023年

IAPHのセクター横断的な取り組みの影響力 の拡大は、2023年7月に国際海事機関(IMO) との間で覚書(MOU)が締結されたことに反映 された。IMO事務総長Kitack Lim、IAPH会 長Captain Subramaniam、IAPH 専務理事 Patrick Verhoevenが署名したこのMOUは、 海運と港湾の間で気候変動、エネルギー転換、 貿易円滑化、リスクとレジリエンス能力強化に 関する緊密な連携について合意したものである。

Kitack Limは在任中、港湾をIMOの活動に積 極的に参画させるよう努め、海運の脱炭素化促 進に関する初の港湾決議の採択やマリタイム・シ ングル・ウィンドウの導入を実現した。

数か月後、2023年には、第34回IAPH世 界港湾会議が中東地域で初めて開催され、約 700名の参加者が集まった。アラブ首長国連邦 (UAE)のアブダビで開催された本イベントは、 アブダビ港湾グループがホスト・スポンサーとして 同年10月末から11月初めにかけて行われ、1 か月後にドバイで開催された国連のCOP28気 候変動会議に先立つ形となった。

この会議の主要テーマはエネルギー転換であ り、参加者たちは低・ゼロカーボン燃料の生産、 貯蔵、輸送、供給における技術的および財政的 課題、さらにエネルギー業界、金融機関、政府

とのパートナーシップ構築の必要性について議論 した。

特筆すべきは、アラブ首長国連邦(UAE)が、 IAPHと国際海運会議所(ICS)が2022年末 に立ち上げたクリーン・エネルギー・ハブ(CEMHubs: Clean Energy Marine-Hubs)イニシ アチブを支持した最初の5か国の政府の一つで あったことである。IAPHは機関パートナーとの 協力関係を強化し続け、その成果は会議でも報 告された。具体的には、世界税関機構(WCO) と共同で作成された「税関と港湾管理者の協力 に関するガイドライン」が紹介され、また総勢88 名の協力者が24か月間取り組んだ世界銀行と の共同プロジェクト「ポート・コミュニティ・シス テム(PCS)~世界の経験からの教訓~」も公 開された。

後者は港湾関係者がPCSを導入するための 段階的な手引きを提供するものである。デジタル・ トランスフォーメーションもこのイベントの重要な テーマであり、エネルギー効率や運用効率向上 のためのツール、さらにはサイバー・セキュリティ が主要な議題となった。刺激的なことに、この年 はIAPHと未来の世界港湾会議をさらに推進す る新たなメディア・パートナーシップの合意で締 め括られたのである。

2023年7月に覚書に署名するIMO事務総長Kitack Lim、第32代IAPH会長Captain K. Subranamiam(クラン港湾局)、IAPH専務理事 Patrick Verhoeven(左から右へ)

2023年にIAPHは歴史上初めて中東でIAPH 世界港湾会議を開催

2024年

未来の燃料に向けたツール

2024年には、第35回IAPH世界港湾会 議が直近の開催から10年も経たずに再びハン ブルクで開催されたが、港湾が直面する運用環 境や優先課題はもはや前回と同じではなかった。

IMO事務総長Arsenio Dominguezは、世界 の海運から排出されるGHG排出量に対する価 格付けの是非および方法について着実な進展が 見られ、港湾セクターの意見がその過程で反映 されていることを参加者に訴えた。

一方で、IAPHの様々な持続可能性ツール やイニシアチブの開発は目覚ましい速度で進んで いた。本会議では、世界港湾気候行動プログ ラム(WPCAP: World Ports Climate Action Program)がIAPHの気候・エネルギー技術 委員会に統合された。また、IAPHのクリーン船 舶燃料(CMF: Clean Marine Fuel)ワーキン ググループ、WPCAP、ミッション・イノベーショ ンのゼロエミッション・シッピング・ミッションの 共同作業による2年間の取り組みを経て作成さ れた、港湾の低・ゼロカーボン燃料対応度の自 己評価ツールであるデジタル版「船舶燃料への 港湾準備度レベル(PRL-MF: Port Readiness Level for Marine Fuels)」が初めて発表された。

IAPH会長Jens MeierがCEOを務めるハ ンブルク港湾局がホスト・スポンサーとなった本 会議は大成功を収めた。MSCの最高経営責任 者Soren Toftは、港湾セクターの効率性と生産 性が、強靭で持続可能な産業の構築に寄与し、 船舶へのサービス向上に役立つことを振り返り、 現状を最も的確に表現した。「私は、港湾は時に

サプライチェーンの中で過小評価されていると思 うが、皆さんの仕事を本当に評価している。」と 彼は述べたのである。

2016年の定款改正以降、IAPHの業務計 画は大きく変化しました。専務理事のPatrick Verhoevenが率いるIAPH欧州チームは、活 動方針、戦略、広報、そして事業開発を担当す るようになりました。

また、英国港湾協会(BPA)とのパートナーシッ プを通じてロンドンに正式な拠点を構え、IAPH 欧州チームは財務および会員管理を担う東京の IAPH事務局のチームと緊密に連携して活動して います。

2024年ハンブルクIAPH世界港湾会議で挨拶する第33代IAPH 会 長Jens Meier(ハンブルク港湾局)

MSCのCEO、Soren Toftが、2024年ハンブルク IAPH世界港湾会議で挨拶を行った。

Wallenius Wilhelmsenのオペレーション担当senior vice president、Mary Carmen Barrios(左)が、Trends ZのFrancesca Vanthielen(右)にインタビュー され、2024年ハンブルクIAPH世界港湾会議の2日目を開幕した。

2024年ハンブルクIAPH世界港湾会議で挨拶するIMO事務総長Arsenio Dominguez

2025年

IAPHの原点への回帰

IAPHは、正式な設立から70年を迎える本年、 その物語が始まった都市~国際港湾会議が開催 された神戸~へ回帰する舞台が整った。

六甲山系と瀬戸内海に挟まれたこの歴史ある 港町は、9世紀以来、外国文化を受け入れ、国 際色豊かな都市として独自の魅力を放っている。

神戸港は、1868年以降、日本の主要な国際貿 易港として発展を遂げ、和風建築と19世紀後半 の西洋建築が融合する多様な景観を誇る都市に 位置する。130か国以上から集まった150万人 の人々が暮らす多文化共生都市でもある。

2025年は、神戸および周辺地域に甚大な被 害をもたらした阪神・淡路大震災から30年の節 目の年にあたる。本年の第36回IAPH世界港 湾会議は、神戸港の驚異的な復興とレジリエン スを世界に示す機会でもある。

高品質な牛肉、美味な日本酒、そして歴史あ る温泉で知られる神戸は、多くの「日本初」を 生み出してきた都市であり、IAPHもその誇るべ き伝統の一部である。この地において、日米の港 湾関係者が世界各国の港湾のための恒久的な国 際機関の創設を提案するという、歴史的な一歩 が踏み出された。

あれから70 年、その理念はいまなお、満場 一致の支持を得ている。

再開発された神戸ウォーターフロント

相楽園:神戸で唯一の伝統的な日本庭園 神戸は17世紀以来、主要な国際貿易港として発展してきた。

世界港湾持続可能性プログラム(WPSP)

2018年3月、ベルギーのアントワープ港のドッ クサイドでマチルド王妃によって開始されたIAPH 世界港湾持続可能性プログラム(WPSP)は、 港湾の事業や運営にSDGsを統合することで港 湾が国連の持続可能な開発目標(SDGs)への 貢献においてグローバルなリーダーシップを発揮 するために設立されたものである。

IAPH会員はWPSPのウェブサイト上で自らの プロジェクト情報の共有を開始した。7年後の現 在、WPSP事業集(ポートフォリオ)は世界で 最も詳細かつ最新の、持続可能な開発に関連す

る港湾プロジェクトのデータベースとなっている。 現時点で71か国195港から516件のプロジェ クトが掲載されている。

このWPSP事業集(ポートフォリオ)を通じて、 世界中の港湾とそのパートナーは、持続可能性 に関する現在進行中の取り組みへの認識を高め、 ノウハウを共有し、他の港湾にインスピレーショ ンを提供している。多くの港湾は、同じ会員の経 験に基づく類似のプロジェクトを実施することがで きるのである。

IAPHサステイナビリティ・アウォード

IAPHサステイナビリティ・アウォードは、 2019年に中国広州で開催された第31回IAPH 世界港湾会議で初めて開始され、世界各地 から提出された世界港湾持続可能性プログラム (WPSP)データベースに登録された港湾持続 可能性プロジェクトの中でも最高品質のものを讃 えるものである。

毎年、提出されたプロジェクトはまず、海事 産業、学術機関、国連機関からなる独立した専 門家審査員チームによって審査される。具体的 には、WPSPの6つの主要関心分野にそれぞれ 対応する6カテゴリー(デジタル化、インフラス トラクチャー、健康・安全・セキュリティ、環境 保護、コミュニティ形成、気候とエネルギー)ご とにスコア上位の3件が最終候補として選定され る。これら最終候補にはWPSPポータル上での オンライン公開投票による投票結果が最終スコア の30%を占めるものとして評価される。

IAPH世界港湾会議のガラ・ディナーにおい て、IAPHは世界中の多くの港湾からの多彩で 質の高いプロジェクトの受賞を称賛するのである。

また、後発開発途上国(LDCs)および小島嶼 開発途上国(SIDS)からの準優勝プロジェクト 一件には秋山記念賞が授与される。

ポート・エンデバー・ゲーム

(Port

Endeavor Game)

ポート・エンデバー・ゲーム(Port Endeavor Game)は、世界的なロックダウン 期間中のデジタルプレイを経て、2021年10月 に本格的にリリースされた港湾持続可能経営シ ミュレーション・ゲームである。このゲームは 2019年3月にジュネーブで国連貿易開発会議 (UNCTAD)が主催したワークショップで考案 され、WPSPのプロジェクトを紹介する手段とし て開発されたものである。

2年間の開発期間を経て、IAPHおよ び主要な開発パートナーであるUNCTAD TrainForTradeとAPEC(アントワープ/フラン ダース・トレーニング・センター)が、アントワー プとヒホン(スペイン)で初めての対面ゲームを 行ったのである。

このゲームは、港湾管理者が実際に行う持続 可能性に関する意思決定をプレイヤーに疑似体

験してもらうものであり、戦略目標、限られた予算、 そして予測不能な事象に対応するための強靭性 を高めることを考慮に入れなければならない。内 容はWPSPのプロジェクトに基づき、それらの取 り組みを体験的に理解できるように設計されてい る。達成度は国連の持続可能な開発目標(SDGs) によるポイント評価に加え、WPSPの関心分野か らのボーナスポイントも与えられる。

このゲームは、世界の各大陸の港湾専門家、 学生、CEOをはじめ多数の人々に楽しまれており、 内容は常にアップデートされている。さらに、多く の人々が参加できる新しいハイブリッド版も開発 中である。

2023年には、UNCTAD TrainForTrade チームが本ゲームで「UN 2.0 – 変革の五重奏」 部門で国連事務総長賞のファイナリストにノミ ネートされた。

あとがき

2025年IAPHは創立70周年を迎えました。 そして、その記念すべき年に世界港湾会議が神 戸で開催されることになりました。このことは、2 つの視点から大変意味深いことであります。

1922年、私たちの日本港湾協会が大連で 設立されました。その後、10年ごとに周年行事 が行われましたが、第2次世界大戦の終了から 7年後の1952年に設立30周年にあたる総会 が神戸で開催されました。

そして30周年の記念事業として、海外の港 湾関係者を招いて第1回の世界港湾会議が開催 されました。この国際会議の開催は、当時、日 本港湾協会会長であった松本学と神戸市長の原 口忠次郎の2人の強いリーダーシップの下に実 現したのでした。会議は成功を納め、3年後の 1955年にロスアンゼルスで開催された第2回世 界港湾会議が現在のIAPH(国際港湾協会) の設立総会となりました。

1952年の日本港湾協会の機関誌「港湾」 のなかで松本学が述べていた「あらゆる港湾に 関する国際問題を研究討論する団体として、国 際会議が成立することを希望してやまない」とい う願いが1955年のIAPH設立というかたちで 実現したのです。

もうひとつは、2025年は阪神淡路大震災に よって神戸が壊滅的な被害を被ってから、30年 目に当たるという事です。30年後の今、神戸港 のメモリアル施設を除いて、街も港も震災の傷跡 など感じられない程、みごとな復興と発展を遂げ ています。神戸は1999年のIAPH会議の開催 候補地として挙がっていながら、震災のために断 念したという経緯があります。震災から30年目、 みごとに復興を遂げた神戸で世界港湾会議が開 催されることを心より嬉しく思います。

最後に国際港湾協会協力財団の事に触れて おきたいと思います。1970年代初頭の為替も変 動相場制へと移行しました。さらにオイル・ショッ クに端を発する物価高騰により、日本に移本部 を持つIAPHの財政状況は急速に悪化しまし た。そこで提案されたのが国際港湾協会協力財 団の構想でした。様々な議論を経て1973年に IAPH と財団の代表者が合意書に署名し、支援 体制が構築されました。現在もIAPH本部の独 立性を担保する形でIAPHの財政をサポートし ています。

この70周年記念誌には、これらの事もエピ ソードとして紹介されており、設立後70年に亘 るIAPHの歩みと関係者の努力、情熱を垣間見 ることが出ると思います。

大�� 崇

公益社団法人 日本港湾協会 理事長

国際港湾協会協力財団 会長

世界港湾会議2025 共同宣言

国際港湾協会設立70周年記念会議の世界港湾会議2025の開催地である、ここ

神戸において、国際港湾協会と神戸市は以下の通り共同で宣言する。

1952年に国際的な港湾の連携を目指した世界初の港湾に関する国際会議が神戸で

開催され、1955年の国際港湾協会の設立に繋がった。

国際港湾協会は「World peace through world trade, World trade through world ports(世界平和は貿易を通じて達成され、貿易は世界の港湾を通じて達成され る)」を理念に70年間という長きに亘って活動を続けてきたが、今日、地政学的不安 定性や気候変動、自然災害をはじめとした諸課題により、安定的な世界貿易を維持する

ことが困難な状況に直面している。

私たちは、先人のレガシーを引継ぎ、世界貿易と世界平和を維持し守るため、会員 間の情報共有と相互協力を絶え間なく続けていく努力を継続する。そのことによって、世 界の港湾・海事産業の持続可能な発展をさらに促進していくことを、始まりの地である 神戸において再確認した。

2025年10月9日

Jens Meier

国際港湾協会会長

製作クレジット

編集: 山地ふみ子、Nick Blackmore、 Victor Shieh デザイン: Kevin Freeman (Optimus)

印刷:大光社印刷株式会社(東京)

発行:2025年10月

本書の製作にあたり、日本港湾協会ならびに国際港湾協会協力財団のご厚意による多大な財政支援に 対して特別の謝意を表します。

以下のURLでIAPHオンライン情報をご覧いただけます。

国際港湾協会(IAPH) www.iaphworldports.org

世界港湾持続可能性プログラム(WPSP) sustainableworldports.org

IAPH世界港湾会議 www.worldportsconference.com

環境船舶指数(ESI) environmentalshipindex.org

“世界平和は貿易を通じて達成され

貿易は世界の港湾を通じて達成される” – 松本学(IAPH創設者・初代IAPH事務総長、1963 年)

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