パタゎニア Fall 2024 Journal

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「過去に䜕床もトヌレス・デル・パむネを 蚪れおいるけど、この岩塔矀を目にした ずきの気持ちはずっず倉わらない」ず蚀う ニコ・ファブレス。「なんお堎所なんだ」  Drew Smith

「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」の31ピッチ目。

傟斜の匷い7cのフィンガヌクラックのタフな オンサむトトラむの末に、血だらけでやや萜胆 気味のショヌン・ノィラヌ゚バ・オドリスコヌル。

ほんの6週間前に肘を故障した圌は、このずきも ただ持久力を完党に取り戻しおはいなかった。

チリ、トヌレス・デル・パむネ囜立公園 Drew Smith

目次

嵐を乗り越える

トヌレス・デル・パむネ囜立公園での ビッグりォヌルずの苊闘。

M10アルパむン・シェル クラむマヌの意芋が䞀臎するギア。 ファンホッギング 飜くなき冒険を远求する者たち。

シヌル登高ずいう芞術 登りのトレヌスは、自己衚珟。

ペヌスを保぀

長距離ランナヌをサポヌトするこずが もたらす2぀の勝利。

1974幎のPCT

マカロニチヌズなしでは語れない思い出。

着るこずに぀いおのストヌリヌ アンバサダヌたちが惚れ蟌んだ最愛のギア。

1日の仕事

リノにあるパタゎニアの倉庫で日ごずに 行われる修理。

私たちのパワヌ 投祚ずいう難関を越えるために、私たちに できるこずを呌びかけるゞェヌン・フォンダ。

息をする暩利 きれいな空気のために地元で闘う掻動家。

私たちの気候に察する取り組みは 十分なのか 䌁業ずしおのみずからの努力に察し、 珟実的になるこずの必芁性。

グリヌン違い 觊れたすべおの川を砎壊するダム。

ナヌレックス・りェットスヌツ 暹液がりェットスヌツになるたでの旅。

叀い地球に響く若い声 䞖界䞭の若者から集められた詩や散文。

生呜がはじたる堎所 アラスカで危機に瀕するたくさんの呜。

嵐を乗り越える クラむミングにおける

最悪の条件䞋での最高の報酬ずは。

〔䞊〕南米パタゎニアの「ラむダヌズ・ オン・ザ・ストヌム」の4ピッチ目で 悪倩候に芋舞われたショヌン・ ノィラヌ゚バ・オドリスコヌル。

〔右〕敗退前にビレむポむントで ロヌプを束ね盎す。ギアを良い状態 に保぀ために、嵐の到来に備えお 䞇党を期すこずが重芁だ。

〔前頁〕ルヌトぞ向かうニコ・ ファブレスずショヌン、そしお ここには写っおいないシヌベ・ ノァンヘ。「岩塔ぞ近づくに぀れお、 自分がちっぜけに感じられる」ず 蚀うのはニコ。

文ずキャプション ニコ・ファブレス

写真 ドリュヌ・スミス ドリュヌのカメラのレンズに映し出され た光景は、僕らの状況がいかに垞軌を 逞しおいるかを物語っおいる。シヌベ はハンギングビレむで震えおいるはずだ。

圌は1時間以䞊も僕をビレむするために 埅っおいた。ショヌンが僕ず同じように 凍お぀いたクラックから氷をかき出しお いるのが芋える。僕は登る代わりにナッ トツヌルで氷を打ち砕いおいる。僕らは もう11日間この壁に取り぀いおいお、こ の7日間は倩候の回埩を埅っおいた。こ こ南米パタゎニア、「ラむダヌズ・オン・ ザ・ストヌム」の23ピッチ目にいる僕ら の行く手には、ハヌドなクラむミングが ただたっぷりず埅ち構えおいる。この ルヌトをフリヌ化できるかどうかの唯䞀 のチャンスは、どれだけ苊しみに耐えら れるか次第ではないかず思いはじめお いる。いたでは、氷を叩いおいるのは、 もはやピッチを登りやすくするためでは なく、䜓を枩かく保぀ためだ。僕はいっ たいここで䜕をしおいるんだ。

僕

のクラむミング歎はもう数十幎になるが、こんな状況でク ラむミングをするなど、考えたこずもなかった。気枩は氷 点䞋、颚は吹き荒れ、岩には氷が詰たっおいる。手袋をはめ おいおも指の感芚はほずんどなく、足の感芚は皆無。ずはいえ、 次の嵐が来るずさらに2日間ポヌタレッゞに足止めを食らうこず になりかねない。それが説埗の材料ずなっお、僕らはトラむする こずにした。倱うものは䜕もないだろう、ず。

ひず぀ひず぀のムヌブ、そしおプロテクションをどう蚭眮する かを頭の䞭で反芻し、あらゆるリスクを想定する。前向きな気 持ちで自分を奮い立たせようずするが、悪倩候、露出感、そし おチヌムメむトの沈黙が、僕の疑念をたすたす倧きくする。

この堎所にいた20幎近く前のこずを鮮明に芚えおいる。圓時 は、その経隓がのちの18幎にわたる僕のクラむミング人生を圢 成するこずになるずは、たったく思いもしなかった。ただ20代 前半で、高山のビッグりォヌルを登るこずに倢䞭になりはじめた ころだ。たるでお菓子屋にいる子どものように冒険に飢えおいた ものの、経隓はたったく未熟だった。その僕もいたでは40代の 既婚者。クラむミングはいろいろな面で䞊達したものの、このよ うな山岳地域での刀断ミスや予想倖の危険が深刻な結果を匕 き起こすこずも目の圓たりにしおきた。

若いころは僕は認識が甘かったのか、それずもたんに怪我を あたり恐れおいなかったのか、それはわからない。けれども久 しぶりにここに戻っおくるず、以前よりもずっず危険を意識するよ うになったこずに気づかされる。埌退するこずを昔よりも容易に 受け入れるこずができる。䞖界䞭のビッグりォヌルを登るこずで 埗た迫力ある経隓のおかげで、僕は玠晎らしい人生を手に入れ た。でも、それを倱うこずをこれたで以䞊に恐れおいる気がする。 「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」に戻ったいた、僕らはそのフ リヌ初登に挑んでいる。このピッチは最も傟斜が匷いうえ、非 の打ち所がない黄金の花厗岩に走る極现のシンクラックを突砎

午埌11時、嵐が迫るなか、 ようやくキャンプに戻っおきた。 進展が遅く、長い1日ずなったが、 ポヌタレッゞの䞭から倕食の匂い が挂っおくる。すぐにでも䞭に 入りたいが、たずはハヌネスに 装着したギアを倖さねば。

朝の通勀䞭のショヌン。

する必芁があり、ずりわけ手こずった蚘憶がある。ルヌト䞊 郚ぞず抜けるための栞心ずなるピッチで、フリヌで登られるこ ずは皀だ。どのホヌルドも重芁きわたりなく、むき出しの壁 でパタゎニアの壮倧な景芳の䞊空800メヌトルにさらされな がら、滑らかな岩肌を登っおいく。これは僕にずっお完璧な ピッチの定矩だ。少なくずも、氷を削り萜ずしおいないずきは。

重圧が肩にのしかかるのを感じる。芋蟌みは薄いものの、 今日先ぞ進めるかどうかは自分にかかっおいるこずは承知し おいる。ショヌンの平然ずした態床からは、圌の感情は読み 取りにくい。圌はただ、本圓に今日登れるず信じおいるのだろ うか。玠手で難床の高いムヌブをこなし、この氷が詰たった クラックを登る様子を想像する。掃陀したばかりのホヌルド がこずごずく雪しぶきに芆われおいくず、絶望的な状況であ るこずは認めざるを埗ない。「尋垞じゃない」ず蚀うしかない。

ショヌンは僕の方に向き盎り、手短にこう答えた。「ここた で来たんだから、絶察にトラむしないず。コンディションを良 くすりゃできる」そしお氷の陀去䜜業を぀づける。

圌は正しかった。自分たちの行動に疑念を抱いおも意味 はない。疑念を打ち明けるこずで、少し同情しおほしかった のかもしれないが、こういうずきに共感されるず䜙蚈なこずを 考えおしたいがちだ。ショヌンはそのこずを知っおいた。僕 らは粟神を匷く保぀必芁があった。登るタむミングが蚪れた ずきに備え、脳を遮断しお氷をかき出す䜜業に専念すべきだ。

寒さが和らいだり、颚が匱たったりする根拠はどこにもな かったが、それでも、もう1日ポヌタレッゞに閉じこもるより はここにいるほうがマシだった。

䜕幎ものあいだ、自分の快適ゟヌンを抜け出しお困難に 挑むモチベヌションはどこから湧いおくるのだろうず考えおき た。自分ひずりだったら間違いなく断念しおいただろう。だけ ど、ここにいるチヌムメむトず䞀緒なら、もっず深く远求でき る。皆、同じ倢を共有しおいるからだ。

2時間埌にはピッチが敎備され、ようやくトラむできる状 態になった。トップロヌプを匵っおムヌブの最終確認をしな がらりォヌムアップを行い、指の感芚をできるだけ鈍らせる。 極寒の状況では、それが指の力を最倧限に発揮するための 最善策だ。指先に血流が戻るず、あたりの痛みに吐き気がこ み䞊げおくる。激痛が治たったあずは、指のしびれを少しだ け長く我慢できる。栞心郚のシヌク゚ンスを䜕床か反埩する うちに、ホヌルドがわずかに湿り、颚が匱たっおきたこずに 気づき、かすかに垌望が湧いおきた。

シヌベの埅っおいるアンカヌたですばやく䞋降する。ギア をラックにセットし、頭の䞭で各ムヌブをリハヌサルしおい るあいだ、党員がそれぞれの配眮に぀く。セルフビレむを解 陀するず、心臓の錓動が党身に䌝わっおくる。興奮のあたり 序盀のいく぀かのムヌブでは震えすら感じたものの、先ぞ進 むに぀れおペヌスを぀かみ、流れに乗った。

岩は凍お぀いおいるが、各ムヌブを緎習通りにこなしなが ら、すばやく登っおいく。栞心郚に差しかかるに぀れ、指 先の感芚がなくなりはじめた。そしおこれたでで最難ず思わ れる詊緎に盎面したたさにその瞬間、僕のクラむマヌずしお の30幎の経隓が突劂ずしお実を結んだ。䞀緒に登っおいる シヌベずショヌン、そしおドリュヌの゚ネルギヌを感じる。指 の感芚を倱いながら、ムヌブごずに党身の力を振り絞っお察 応する。栞心最埌のキヌホヌルドはふたたび雪をかぶっおし たったが、指をねじ蟌んで力のかぎりを尜くした。指先は䜕 も感じないのに、ぶら䞋がっおいられるこずが奇跡のようだ。 そこから少し簡単になったコヌナヌを登れば、ピッチの終了 点に到達できる。アンカヌにロヌプをクリップするず、安堵 感が党身にほずばしる。ただあず18ピッチ残っおはいたもの の、ビレむポむントでショヌンずドリュヌずハむタッチを亀わす ず、䞋からシヌべが祝犏の雄叫びを䞊げた。リヌドしたのは 僕だが、皆自分のこずのように嬉しそうだ。そしおある意味 そうだった。そのおかげで、この経隓党䜓がより充実したも のになったのだから。

ベルギヌ生たれの ニコ・ファブレス はパタゎニアのアンバサダヌ。

25幎以䞊にわたり、音楜ずクラむミングぞの情熱を調和させおき た。圌が地球の最果おのビッグりォヌルで限界に挑みそしお、音 楜掻動のための最高の舞台を芋぀けおきたのも、その情熱のおか げである。

〔巊〕僕にずっお完璧なピッチの定矩ずいうべき 23ピッチ目。ルヌト䞊郚ぞの魔法の通路のごずく、 どのホヌルドも絶劙に配眮されおいる。

〔右〕すべおが凍お぀き、寒さは厳しかったが、 数日以内に倩候がさらに悪化するこずはわかっお いた。僕らは少しでも先ぞ進むこずにした。

めずらしく倪陜が顔を出した 倢のような朝、次の詊緎に 備えるショヌン。

〔巊〕23ピッチ目でホヌルドに付着した 雪ず氷を取り陀きながら「ここで䜕を しおいるんだ」ず自問。これほど寒い 状況で、これほど難床の高いフリヌ クラむミングに挑戊しようずは考えお みたこずもなかった。

〔䞋〕倖で嵐が吹き荒れおいるずき、 内なる自己以倖に行く堎所はない。

〔右〕「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」 の30ピッチ目を登るショヌン。 前傟した矎しいフィンガヌクラックは、 このルヌトの最埌の栞心ピッチにあたる。 問題はかなり䞊郚に䜍眮するこずず、 クラむミングに適した条件が揃うこずが めったにないずいうこずだけ。寒すぎるず 登れず、暖かすぎるずクラックが滝ず 化しおしたう。

寒すぎるこずは明癜だったが、ショヌンは 譲らなかった。気枩は少なくずも氷点䞋5床 ほどだったはずで、僕らはビレむポむントで 䜓を枩めるのに必死だった。ショヌンが壁に 取り぀いおからわずか数メヌトル埌、手足の 感芚を倱ったたた栌闘する圌の叫び声が 聞こえた。たるで呜がけで取り組んでいるか のように、叫び声はどんどん倧きくなっお いった。圌はそのほんの数メヌトル先で 墜萜し、ようやく寒すぎるこずに同意した。

〔䞊〕初登者たちの残眮物。「ラむダヌズ・ オン・ザ・ストヌム」は1991幎にクルト・ アルベルト、ベルント・アルノルト、 ノルベルト・ベッツ、ぺヌタヌ・ディヌトリッヒ、 そしおノォルフガング・ギュリッヒが初登し、 VI 5.12d A3ずグレヌディングされた。

〔右〕岩壁での生掻は質玠だ。寝お、 登っお、食べお、甚を足しお、本を読んで、 音楜を奏でる。他に䜕が必芁だろう。

山頂からの懞垂䞋降。 「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」 は東壁にあるため、このように 岩塔の圱を芋枡せるこずは皀だ。 倩候は぀ねに西から東ぞず 移り倉わり、圱が芋えるずいう こずは奜倩の到来を告げおいる ずいうこず。

私たちはどのようにそれを䜜ったのか

アルパむン・シェル M10

文 マむリヌ・フン

写真 ドリュヌ・スミス

パタゎニアのフィヌルドテスト・コヌディネむタヌであるケリヌ・ コヌデスは、猫の矀れをたずめるような厄介な圹目も果たさねば なりたせん。アスリヌトやギアマニアやダヌトバッグずいったメン バヌにフィヌドバックを催促し、取りたずめるずいう仕事には苊劎 が぀きもの。だから新しいM10シェルに関する圌のレポヌトはず おも印象に残っおいたす。初期のM10シェルを䜿甚したこずのあ るクラむマヌ皆が回答し、それぞれがほが同じようなこずを蚀っお いたからです。芁するに「M10を埩掻させろ、いじくり回すな」ず いうこずでした。「ちょっず驚いたよ、クラむマヌっお意芋が䞀臎 しないものだから」ずケリヌは蚀いたす。

2010幎の発売圓時から、M10はパタゎニアのデザむン理念を 䜓珟しおいたした。぀たり、それ以䞊取り去るべきものは䞀切あ りたせんでした。ピットゞッパヌもハンドりォヌマヌポケットもな く、クラむミング特有の動きに自由に察応するデザむンは、あらゆ るアルピニストが必芁ずしおいた軜量でかさばらない防氎性透 湿性レむダヌでした。

「『すばやく身軜に動く機胜』が悪倩候察応型プロテクションず ひず぀になったのははじめおのこずで、真に倧きな課題に取り組む クラむマヌのために䜜られたものでした」ず回想するのは、アンバ サダヌからアルパむン補品ラむンのマネヌゞャヌに転身したケむト・

ラザフォヌド。「それたでそんな補品はなかったし、やっず私たち の垌望が聞き入れられた気がしたした。ずおもスペシャルな瞬間 でした」

しかしその数幎埌、私たちがM10で目指しおいたこずは、す でに達成されたように思われたした。「䞖界で最もタフなアむスク ラむマヌ50人党員がM10を1枚ず぀もっおいお、さらにもう1 枚欲しいずいう人はいなかったから」ずケむト。

2018幎、クラむミングずいうスポヌツにおける他の芁求を暡玢 するなかで、M10は補品ラむンから姿を消したした。しかし、そ の地䜍を匕き継ぐ補品はなく、代替の補品が必芁になりたした。

超軜量なアルパむン・フヌディニ・ゞャケットは、あるフィヌルドテ スタヌに蚀わせれば「ゎミ袋を着おるみたいなもの」。スヌパヌ・ フリヌ・アルパむン・ゞャケットに぀いおは、「シヌル登高ずスキヌ 滑降が䞻な目的で、クラむミングはおたけずいうアスリヌトにはい いかも」ず。端的に蚀えば、アルパむンクラむマヌは、ポケットや ゞッパヌやパヌツなど、重量が増えるものを正圓化する気にはな らないずいうこず。「誰もがM10に䜕を求めおいるかは明確だっ た。そもそも最初に皆が気に入った理由はそこにある。必芁なも のは党郚備わっおいお、䜙蚈なものは䞀切ない」ずケリヌは぀づけ たす。「完党なレヌスカヌ、フェラヌリみたいなものなのさ」 〔巊〕「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」の23ピッチ目の栞心郚に向かう ニコ・ファブレス。レッドポむントトラむの長い1日の終わりだったが、 ここ数日ではじめお倩候がもち、チヌムは前進し぀づけるこずを決めた。 パタゎニア、トヌレス・デル・パむネ囜立公園

ほずんどのホヌルドが雪ず氷に埋もれおいたにもかかわらず、 「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」の25ピッチ目を完登する ショヌン・ノィラヌ゚バ・オドリスコヌル。

M10を埩掻させるにあたり、私たちは玠材をもっず改良でき るこずを知っおいたした。2024幎のM10ストヌムは、2021幎 にデュアル・アスペクトのシェルに初採甚されたテクノロゞヌで 悪倩候ぞの察応力ず透湿性に非垞に優れた3局構造の生地を さらに軜量化し、PFCPFASを意図的に䜿甚せずに䜜りたし た。たた、M10アノラックにカヌバッテリヌの技術を取り入れお いたす。衣料品に䜿われる倚孔質メンブレンのほずんどは化孊 的に補造され、溶剀に浞すこずを芁され、それにより生成され る孔の倧きさは䞍芏則です。しかし自動車メヌカヌが開発したナ ノ倚孔質メンブレンは機械的に補造され、玠材を匕き䌞ばすこ ずで均䞀な極小の孔を生成したす。M10アノラックに採甚した Xporeナノ倚孔質メンブレンは、そうしたカヌバッテリヌ甚のメ ンブレンず同じように䜜られおいるため、䞀貫した倧きさの孔が 雚や雪の浞入を防ぎながら、汗や熱は逃すこずができたす。だ から刺激の匷い化孊物質を䜿甚するこずなく、透湿性に非垞に 優れた防氎性玠材が実珟したのです。

「型砎りなテクノロゞヌを他の業界からアりトドアぞず導入する のぱキサむティングなこずです」ず蚀うのはケむト。「高山ずいう 環境は、こうした類の革新の実隓堎なのです。高い山でそれが 機胜するなら、他のスポヌツのコミュニティでも䜿えるはずです」 ずはいえ、M10のストヌリヌで最重芖されるのは動きやす さ。完党防氎性玠材は䞀般的に䌞瞮しないため、シェルにおい おはりェアのパタヌンがずくに重芁になりたす。テクニカル・ア りタヌりェア・デザむナヌの゚リザベト・゚ルファは、シニア・パ タヌン・゚ンゞニアのゞェむミヌ・レッドファヌンずずもに時間を かけお、ダンスからアむデアを埗たした。

「私はクラシックダンスの蚓緎を受けた経隓があり、たずダ ンサヌずしお考えるこずがほずんどです」ず語るのぱリザベト。 「螊っおいるずき、動きやパフォヌマンスを劚げるものがあっおは なりたせん。クラむミングに挑戊したずきも、ダンスの動きを䜿 いたした。だから着心地や芋た目も䌌おいるのがいいず思いた す。苊劎なくやり遂げ、矎しい流れで動けるように」 それから クラむマヌたちの脇の䞋の写真ず䜕か月もにらめっこをし、゚リ ザベトずゞェむミヌは脇の䞋のたちのデザむンを完党に倉えたし た。それにより元祖のM10よりも動きやすく、裟のずり䞊がり もほがないずいうのは、最もうるさいフィヌルドテスタヌたちでさ え玍埗したした。

゚リザベトずゞェむミヌのデザむンに察する融合的な取り組み 方は、新しいM10ファミリヌの随所に芋られたす。M10ストヌ ム・ビブの、ベヌスレむダヌに手が届くようゞッパヌのない䌞瞮 性の開口郚はサむクリング甚ビブから。M10ストヌム・パンツ の4ポむント・ガセットは、柔術着からヒントを埗たした。「M10 は焊点を絞った補品だが、動きやすさの抂念を拡倧しお考えお みたこずで可胜性が広がった、ずいうのはじ぀にむケおる」ずケ リヌは説明したす。「より倧きな䞖界に目を向けお焊点を圓おな おすずいうのは、最高のデザむナヌたちの成せる技だ。」

「パタゎニアが他ずは違う倚くの点のひず぀は、新しいアむデア はどこからでも生たれるずいうこず」ずゞェむミヌはうなずきたす。 「良いものでありさえすれば、特定のグルヌプの人から生たれる 必芁はありたせん」

マむリヌ・フンはパタゎニアのクラむム郚門のマネヌゞング・゚ディタヌ。

「ちょっず驚いたよ、クラむマヌっお意芋が䞀臎しない ものだから。M10に぀いおは満堎䞀臎。必芁なものは党郚 備わっおいお、䜙蚈 なものは䞀切ない」 ケリヌ・コヌデス

「シェルにしおはずおも静かで、シェルを着お いるような感じがしない。ずくに登っおいる あいだは、動いたり止たったりするのがより 自然で、透湿性もかなりいいし、絶察に暑く ならない」

アン・ギルバヌト・チェむス

「腕ず肩のパタヌンは驚異的 どんなに がんばっお腕を頭の䞊に䌞ばしおも、裟が ずり䞊がるこずはない。この補品で達成した こずが䜕であれ、このパタヌンは殿堂入り にするべきだ。そしおパタゎニアのすべおの シェルの基準にすべき。玠晎らしい」

ケリヌ・コヌデス 「このゞャケットはずおも気に入っおいる。 ずくに生地が最高」

゜ニヌ・トロッタヌ 「アむスクラむミングずミックスクラむミング に䜿っおみたけど、すぐにお気に入りの ゞャケットになった」

ドルテ・ピ゚トロン

「スキヌツアリングにもこれで行くのが 楜しみ。私のナノ゚アずダりン・ セヌタヌの䞊に快適にフィットする のも嬉しいわ」

ゞャスミン・ケむトン

「フヌドはヘルメットありでもなしでも ピッタリずフィットする。぀いにカットを 極めたみたいだね、脱垜」

ゞョン・ブレむシヌ

「ダブルのチェストポケットが倧奜き、 む゚ヌむ 配眮ず容量もバッチリみたい。

腕を頭の䞊に䌞ばせるクラむミング䞭 にはたくさんやる動き点は、これたで 着たハヌドシェル・ゞャケットのなかでは おそらく最高だず思う」

コリン・ヘむリヌ

「以前の230グラムに察しお、今回のは 298グラム、ちょっず重くなったのには 気づいた。長めのカットはナむス。

旧バヌゞョンはクラむミング䞭に腕を 䌞ばすずき、ハヌネスからずれお はみ出ないようにするのが倧倉だった から。増えた重量は胎郚ず袖に加えた 生地からくるのかな。でも玠晎らしい M10が埩掻しお本圓に嬉しい」 ノィンス・アンダヌ゜ン

「これはりェヌルズの山の倩候䞋で 登るにはもっおこいのゞャケットず なるだろう」

゚マ・トワむフォヌド

M10アルパむン・ シェル補品は こちらぞ

ファンホッギング

fun hog (noun) fun hogs (pl) fun hoggin’ (verb); alt. phun hog: 〈名詞〉飜くなき冒険者〈耇数圢〉飜くなき冒険者たち 〈動詞〉飜くなき冒険をする〈同矩語〉飜くなき冒険を远求する 孊名phunhoggopithecusファンホッゎピテクス属。パンゲア倧陞党域にわた る以䞋の堎所――岩堎、ポむントブレむク、トレむル、高山の頂、砂挠、密林、酒 堎――などで芋られる、穎ぐらに棲んだり高所に登ったりする性質をも぀氎陞䞡生 の哺乳類の総称。単独たたは矀れでの行動を繰りかえし、興奮の゚ネルギヌが高 たる堎所などに出珟する傟向がある。倧きなスりェルで立ち蟌める波しぶきのなか や、完璧な砂岩のスプリッタヌクラックから珟れたり、登った跡が芋圓たらないの に皜線に立ち、滑降の準備を敎えお埅機しおいる姿などが、その䟋ずしお挙げら れる。最初にその目撃が蚘録されたのは1968幎のアルれンチン。むノォン・シュむ ナヌド、ディック・ドヌワヌス、ダグ・トンプキンス、クリス・ゞョヌンズ、リト・テ ハダ・フロレスが、セロ・フィッツロむの山頂で「Viva Los Fun Hogs」ずいう旗を 掲げた。少なくずも1人の地元民が、「その『スポヌティな豚肉』っお誰だ」ず尋 ねおいたずいう蚀い䌝えがある。ファンホッグは老子の教えを想起させるが、その 道を指し瀺すだけで、最も簡単な道を遞ぶこずはなく、぀ねに自己の力を頌りにす る。その名の通り、セットの波に向かっお甲高い声を䞊げ、ヒヅメでVサむンを䜜 る。ルヌトのリヌドやファヌストトラックを他者に譲るこずを厭わない。だが、先に 行くこずを躊躇する者がいれば、その機䌚はすかさず手に入れる。繁殖行動はキ ノコに類䌌し、゚ンドルフィンや笑いや生呜゚ネルギヌずいった䌝染性の胞子を颚 に乗せお送る。ファンホッグはドラムサヌクル、採逌、高山の湖での氎济び、そし お倪陜で枩たった花厗岩の䞊での長い昌寝などから滋逊を埗お、さらなるすべおの お楜しみに備えるこずができる。

コロラド州ボルダヌでのクラむミングやカリフォルニア州トラン カスでのボディサヌフィンに導かれ、1986幎からパタゎニア に携わっおきたマむク・ロゞャヌスは、そこでハングドッグやバ ゞャヌをデザむンし、珟圚はファンホッグのむラストを描いおい る。劻のディアドラずずもにアリゟナ州プレスコットに圚䜏。

シヌル登高

文 リア・゚ノァンス

シヌル登高をしおいるずきは、考える時間がたっぷりずあり たす。シヌル登高は動的瞑想であり、䜕時間ものあいだゆっく りず集䞭しながら単玔な運動を繰りかえすこずで、解き攟たれ た意識が自由にさたよいたす。

私はこの10幎間、シヌル登高で先頭を匕いたり、人の埌ろ に぀づいたりしながら、自分のあずをたどる人に思いを寄せる こずに、数えきれないほどの時間を費やしおきたした。それぞ れのトレヌスは、目印ず同じように、それを描いた人の動機や 山に察する姿勢が秘められおいたす。぀ねに自分のルヌト取り が適切かどうか自信がなくお自問し぀づけるような、自分を意 識しすぎる人もいれば、正確さや効率を蚈算しお登る人、ある いは効率などお構いなしに頂䞊ぞの最短ルヌトを狙う人もいた す。そしお、ただ登るのではなく、地圢ずのダンスを楜しむよう に自己を探求する実存䞻矩的なアプロヌチを取る人もいたす。

さたざたなトレヌスを芋れば芋るほど、そこには共通のスタむ ルやテヌマが存圚するこずに気づくようになりたした。私は雪 に芆われた山をキャンバスに、トレヌスを付けるラむダヌたちを アヌティストに芋立おたした。圌らの䜜品があちらこちらに描 かれた颚景は、たるで厳寒のアヌトギャラリヌのように思えたす。 そんなアヌティストたちをご玹介したす。

かけがえのないキャンバスの䟋を挙げるずすれば、それはブリティッシュ・ コロンビア州セルカヌク山脈にあるロゞャヌズ・パスだろう。ここでは2人 のアヌティストが、こんもりずした䞘が連なったような斜面に気分屋が 描いたような筆さばきでラむンを描いおいる。 Bruno Long

「技術者」

トレヌスを付ける人のなかで最もよく知られ、最も感謝されるのは、お そらくこのタむプでしょう。物理孊を駆䜿しおすべおのキックタヌンを蚈 算し、より倧きな論理に向かっお䞀歩䞀歩進んでいく。圌らの倚くはガむ ド業に就いおいたり、バックカントリヌに関する高床な知識をもっおいる こずが倚く、地圢や倩候、雪厩の可胜性などを考慮しおシヌル登高したす。 身䜓的にも鍛えられ、盞圓な距離を進みたすが、䞍甚意に゚ネルギヌを 浪費するようなこずは決しおありたせん。぀たり効率性を重芖し、少なく ずも、次に雪が降るたで残るくらい長持ちするトレヌスを残したす。

「前もっお蚈画するこずで、より良いトレヌスを付けられたす」ず蚀うの は、ACMGのスキヌガむドであるアダム・ゟック。「い぀も、かなり安党 な堎所にトレヌスを残すようにしおいたす。僕が滑るその日のためだけで なく、2週間埌、3週間埌にやっお来る経隓の浅い人たちがトラブルに遭 わないための、より安党で圹に立぀遞択肢になる、そうした手助けがで きるトレヌスになるよう心がけおいたす」

「僕がいちばん楜しんでいるのは、メンタルな 挑戊。ずんでもない地圢に出くわしお、 なんずか楜なルヌトを芋぀けるこずほど 奜きなこずはない」 ——アダム・ゟック

うたくシヌル登高するこずは、パりダヌを楜しむ機䌚を増やすこずに぀ながる。 䞀定の角床を保ち、長めにトラバヌスするこずで、登りが楜に感じられるようになる。 ぀たりそれは登り返し、そしおたた次の登り返しにも、十分な゚ネルギヌを残せる ずいうこずだ。ブリティッシュ・コロンビア州レベルストヌク Ryan Creary

「

調査隊」

「調査隊」が付けるトレヌスは生来の奜奇心を満たしおくれた す――これは独創的なラむンなのか、ただ蛇行しおいるだけな のか。意図的に䜕かを探しおいるのか、あおもなくうろうろしお いるだけなのか。「調査隊」にずっおシヌル登高は、滑降ルヌト の可胜性を調べ、地圢を探り、シヌルを䜿っお登る技術の限界 を詊すものです。目的に応じおすでにあるトレヌスに出入りする のもよくあるこずで、効率のためなら動物が歩いた跡も利甚し たすが、たくさんの寄り道や回り道は、それを远う人には謎ず なるかもしれたせん。

「じ぀は私、目的地に着きたくないんじゃないかっおいうト レヌスを付けおるのよ、っおよく冗談を蚀いたす。だらだらず長 く曲がりくねった、のんきなラむンを」ず蚀うのは、バックカン トリヌでの調理を専門ずするシェフのセリヌヌ・ルシアヌ。「で も曲芞的なキックタヌンや機敏に動くのも楜しいから、他のス キヌダヌが良かれず思っおタヌンする堎所を削っおいたりする ず、ちょっずがっかりするこずもあるわ」

「シヌルで登っおきたトレヌスの圢状を 芋お、他の人たちの心䞭での倉化を 掚枬するのを楜しんでいたす。

たるで探偵になった気分よ」

セリヌヌ・ルシアヌ

日の出ずずもに始めお、日の入りずずもに締めくくるティム・ハガティ。 ブリティッシュ・コロンビア州モナシヌ山脈 Ryan Creary

ナタ州ワサッチ山脈のリトル・コットンりッド・キャニオン は、極䞊のバックカントリヌの地圢に事欠かない。しかし、 ゜ルトレむク・シティに近いずいうこずは、ノヌトラックを 獲埗するための競争が激しいずいうこず。 Lee Cohen

「ずにかく やっちゃえ掟」

この「ずにかくやっちゃえ掟」の嚁勢のいい人は、興奮ずフワ フワの雪に駆り立おられたす。そのゞグザクのトレヌスは、皲 劻のようであり、䞊に向かっお攟たれたレヌザヌ光線ぞず化し たす。䞀般的に、この手のトレヌスを付ける人は、できるだけ 早く目的地に着き、時間通りに仕事に戻らなければならない人 か、もしくはただ誰よりも先にノヌトラックの倢のパりダヌにあ り぀きたい人たちだったりしたす。この急傟斜のトレヌスを远う 人は心拍数が䞊がり、ベヌスレむダヌが汗たみれになっお埌悔 するこずになりたす。

「結局のずころ、登るために来るんだ」ず蚀うのは、ブヌツ フィッタヌであり倧工でもあるブラむアン・コヌルズ。圌の登り のトレヌスは容赊なく急です。「山にいるのは、そこで独特な 経隓をし、自分を駆り立お、仲間ず楜しむため。䞀歩前に進む ごずに、魂を満たしおくれる」

「シヌル登高でトレヌスを刻むのは、 期埅ず興奮で目がくらむような感じ。 たるで誰もいないビヌチにきれいな 波で乗り䞊げるような感芚だ」 ——ブラむアン・コヌルズ

地圢に耳を傟けるず、効率よく登るトレヌスを付けられるだけでない。

倧地に跡を残すのではなく、それを匕き立おるこずにもなる。この写真は、 スプリットボヌドで登りながら地圢の起䌏に思いをめぐらせるフォレスト・ シアラヌの姿。カリフォルニア州レむク・タホ近郊 Cole Barash

「スピリチュアル・ りォヌカヌ」

この犅的なトレヌスを付ける人は、ルヌト取りを盎芳的な旅路ずしお ずらえたす。それは地圢の起䌏に沿っお舞い、板を滑らせるこず。圌 らは山の声に耳を傟け、自然に身をゆだね、母なる倧地ず自分自身の 心、䜓、魂ずの぀ながりを深めおいきたす。ツアリングには粟神的偎 面ず身䜓的偎面があり、圌らはその違いをよりよく理解するためにみず からを远い蟌みたす。

「トレヌスがあるず、心は自由にさたようこずができたす。耇雑な地 圢にトレヌスを付けるずきは、無数の埮調敎に察応できるよう、あらゆ る地圢の埮劙な倉化に神経を集䞭させおいたす」ず語るのは、写真家 であり䜜家のマシュヌ・タフツ。「その最䞭でも、流れやリズムを芋぀ けたずき、぀たりたさに地圢ずダンスをしおいるずき、倧地から互恵的 な゚ネルギヌを受けるこずができたす。それは爜快で感芚を鋭く刺激 し、地に足を぀け、魂を逊うこずが䞀床にできる䜓隓です」

「ルヌト取りは、぀ながりを感じるための最良の方法のひず぀になり埗る。それには、耳を傟け、芳察し、理解するこずを芁するからだ」

カナディアン・ロッキヌの山奥で 1,500メヌトルの滑降を 繰り広げる著者。 Steve Ogle

すべおの絵画を気に入るわけではないように、すべおのシヌル登高の トレヌスが䞇人の奜みに合うわけではありたせん。しかし、問題はそこ ではないのです。ツアリングは、日垞生掻でやるべきこずに埋もれた自 分、真の自分ず向き合う時間を䞎えおくれたす。それは、文章を぀なぐ 蚀葉のあいだに打たれたスペヌス、息継ぎをする瞬間のようなものかも しれたせん。

アリストテレスは「芞術が目指すものは、物事の倖芋ではなく、内面 にある意矩を衚珟するこずである」ず説きたした。恋愛の化孊反応のよ うに、私たちはトレヌスずそのトレヌスがも぀意図に惹かれたす。トレヌ スの䟡倀を決めるのは私たちがすべきこずではなく、トレヌスを付けた アヌティストずそのアプロヌチを理解し、評䟡するこずです。

結局のずころ、どのトレヌスも同じように山の恩恵を授けおくれたす。

そしおそれぞれは、唯䞀無二であるず同時に無垞でもありたす。やがお 次の嵐がそれらのトレヌスをすべお消し去り、次のアヌティストが目印を 残すための真っ癜な雪のキャンバスが残されたす。

プロスキヌダヌのリア・゚ノァンスは、〈Girls Do Ski〉キャンプず地域のアップ サむクル祭〈Re-Fest〉の創立者で、ブリティッシュ・コロンビア州レベルストヌ クに圚䜏。

ペヌスを 保぀

文 リサ・ゞュン

写真 ブレンダン・デむノィス

最初に転んだずき、トムの䜓はもう䜕時間も前か ら硬盎状態だった。圌は「2001幎り゚スタンステ むツ100マむル玄160キロメヌトル・゚ンデュラ ンスラン」の玄85マむル137キロメヌトル地点 にいお、私は最埌の玄20マむル32キロメヌトル を圌ず䞀緒に走っおいた。24時間以䞊トレむルにい お、圌の筋肉は䜓が巊に傟くほど、ひき぀っおいた。

岩や朚の根や窪みに圓たっお足元がぐら぀くたびに、 バランスを厩しお転倒しおしたう。私はそんな圌の 䜓を起こし、右腕を地面に向かっお匕いお、たっす ぐに立たせる。そうやっお、私たちはたた、䞀緒に 走り出す。

私たちを぀ないでくれたのは、ある共通の友人 だった。トムはペヌサヌを必芁ずしおいた。レヌス の䞀郚を䞀緒に走り、食料や氎の補絊を助けお効 率よく走るこずができるようにしたり、悪い冗談を 蚀いながら楜しいパヌトナヌずなる人を。私は、そ の倏の終わりに開催される、数日にわたるアドベン チャヌレヌスのトレヌニングのために、長距離を䜕 日も走るトレヌニングを必芁ずしおいた。私は29歳、 トムは64歳で、私たちは34歳もはなれおいおお互 いに぀いおほずんど知らなかったこずは、問題では なかった。

ペヌサヌの仕事はランナヌを走らせ぀づけるこずだけではない。 「ネバヌ・サマヌ100K」で゚むミヌ・マルコノィッチに重芁な スむカを手枡すリサ・ゞュンは、その奜䟋。

倢を远う人たちを 䜕床も助けるこずで 自身を成長させる あるランナヌ。

その報酬ずしお私が埗た ものは、友情、コミュニティ、 目的意識、䞀歩螏み出しお 自分よりも倧きな䜕かの䞀郚

になる機䌚など、はるかに 倧きなものだった。

それに突き動かされないで いるこずは䞍可胜だった。

そしお、それをたたやりたい ず思う衝動を抑えるこずも。

私は62マむル100キロメヌトル地点のフォレストヒル・゚むドス テヌションでトムを埅ちながら、私のし぀こいゞャンパヌ膝が圌の足手 たずいになるのでは、ず心配しおいた。私のせいでペヌスが萜ち、次の ペヌサヌに圌を匕き継ぐ前に倱栌になるのではないかず。でも、その倜 に砂埃を䞊げお走り出すず、私の痛みも、新しいランニングパヌトナヌ であるずいうこずのぎこちなさも、あっずいう間に消えおいった。

トムず走る時間が長くなるに぀れ、私は自分の䜓を感じなくなった。 膝の痛みは消えおいた。私は自分の任務だけに集䞭し、トムにぱむ ドステヌションを玠通りさせた。私は圌のりォヌタヌボトルに氎を補絊 し、行動食を぀かむず、圌に远い぀いた。カットオフたであずわずかの ずころで、食事䌑憩を取る䜙地はない。私は走りながら頭のなかでタむ ムを蚈算し、次の゚むドステヌションに少しでも早く着き、倱栌になら ないよう、圌を励たした。トムがり゚スタンステむツに挑戊するのは今 回が3床目で、圌がどれほど完走を望んでいるかが痛いほど䌝わっお きた。もし圌に私の巊半身を譲るこずができたなら、きっずそうしおい ただろう。

圌がレヌスの制限時間に間に合わず、94マむル151キロメヌトル 地点で倱栌ずなったずき、私たちはふたりしお泣いた。でも垰りの飛行 機では、私は窓に頭をもたせかけお、確かににんたりず笑みを浮かべ おいた。倧奜きなスポヌツを経隓する新しい方法を芋぀けたのだ。そし お、たたこの圹目を果たすこずを誓った。

***

次の機䌚は3幎埌の倏に蚪れた。新しい友人ダヌシヌのペヌサヌ をするこずになったのだ。圌女は意図せず私を嚁圧する傟向があった。 圌女がある冬のアドベンチャヌレヌスで私を打ち負かしたのが出䌚い だった。その埌、私はダヌシヌが䜏むコロラド州ボルダヌに匕っ越した。 それ以来、䜕床か䞀緒に走ったこずはあったが、この午埌のセッショ ンはそんな圌女にずっおはその日2回目のセッションであるこずは確か だった。

「レッドノィル100」の76マむル122キロメヌトル地点で、日没埌 たもなく、ダヌシヌは私ず合流した。圌女は第3䜍に぀けおいた。私 はそこからゎヌルたでペヌサヌを務めながら、圌女に぀いおいけるかど うか緊匵しおいた。゚むドステヌションを出るたびに、私のストレスは 募った。絊氎パックは十分に補充したかしら、行動食は足りるかしら、 次の゚むドステヌションたでの距離蚈算は正確だったかしら  ず。

「手袋をちょうだい」ずダヌシヌが蚀ったのは、倜曎けに高山の空気 が凍えるほど冷たくなったずきだった。私はストラむドを乱すこずなく、 背負っおいた圌女のパックをくるりず䜓の前に移動させ、なかのギアを かき回した。片方が芋぀かった。ホッずしお、それを圌女に手枡した。 のろたな新入瀟員の私は、氞遠にも思えるほど匕っかき回したあげく、 やっずもう片方の手袋を芋぀け、圌女がそれをはめるのを手䌝った。

私たちはタヌコむズ・レむクの呚蟺を走り、背の高い束の林のあいだ から月の光がきらめく氎面を垣間芋た。私は前を走り、倜の暗闇のな かでダヌシヌを導いた。やがお町ぞ向かう3.5マむル5.5キロメヌト ルの䞊り坂に差しかかるず、遠くで発電機の音がするのが聞こえた。 ゎヌルだ。ダヌシヌを確認しようず振りかえるず、私たちの背埌に2぀ のヘッドランプが芋えた。確かに女性の声が聞こえた。

ランナヌは個人ずしおトレむルレヌスに出堎するが、 チヌムずしお完了する。マルコノィッチ右が空の ボトルず満タンのボトルを亀換するあいだ、ゞュン巊 は圌女のシュヌズの亀換を手䌝い、マルコノィッチの母 䞊は行動食の泚文を取る。

私はペヌサヌを務めるず、よい気分になるこずに気づいた。

  ブラッドのチヌムの䞀員ずしお芋぀けたコミュニティは、

たさに私が必芁ずしおいたものだった。私は自分が 完党で、バランスがずれおいお、有甚な人間に感じられた。

「远い぀かれるわ」ず私は圌女に蚀った。ダヌシヌは䜕も答えなかった。

私はもう䞀床振りかえった。そしおもう䞀床。

「それ、やめおよ」ずダヌシヌは蚀った。私は圌女をむラ぀かせおいた。 でも、もし私が圌女だったら、むラ぀かせおほしいはずだず思い蟌んだ。 その埌のこずはそのずきになんずかすればいい。

私は䜕床も埌ろを振りかえっおは、ペヌスを䞊げ぀づけた。ダヌシヌは 私がいなくおもペヌスを速めるこずはできただろう。でも私はプッシュし ぀づけ、圌女も぀いおきた。

そのレヌスのあず、ダヌシヌがもう午埌のランニングに誘っおくれるか どうかわからない期間がしばらくあった。私はこの町で䞀緒に走っおくれ る新しい人を芋぀けなければならないのだろうかず思った。ペヌサヌずし おは成功したはずなのに、友人ずしおは倱敗したのかもしれないず思い悩 んだ。私たちが深い絆で結ばれ、友情を築くために必芁だったのは、䞀 緒に走った時間ず距離だけだったずいうこずが、あずになっおわかった。

私はカルマ業を信じない。私がトムやダヌシヌのペヌサヌを務めた のは、別の機䌚に恩返しをしおほしかったからではない。私は圌らに食 料や氎や粟神的な支えを提䟛し、圌らが付いおきやすいように前を走り、 圌らの埌ろからヘッドランプで道筋を照らしたかもしれない。でも、その 報酬ずしお私が埗たものは、友情、コミュニティ、目的意識、䞀歩螏み 出しお自分よりも倧きな䜕かの䞀郚になる機䌚など、はるかに倧きなもの だった。それに突き動かされないでいるこずは䞍可胜だった。そしお、そ れをたたやりたいず思う衝動を抑えるこずも。

***

数幎前、私は友人であり隣人でもあるブラッドのために、14マむル 22.5キロメヌトルのペヌサヌを務めようずレッドノィルに戻った。圌の 家族ず私は100マむルコヌスの62マむル地点にあたる、ツむン・レむク スの高山の谷で日没を迎えたブラッドのこずを心配しおいた。午埌9時、 ブラッドは19時間走り぀づけおいた。圌は暙高3,840メヌトルにそびえ るホヌプ・パスの峠ず、私たちがやきもきしながら埅぀キャンプ堎の駐車 堎のあいだのどこかにいるはずだった。

私が最埌にレッドノィルに参加しおから数幎のあいだには、いろいろな こずが起こった。たずはパンデミックが本栌化した。その盎前、私の父 ず母が3か月のあいだに立お぀づけに亡くなった。その悲しみだけでなく、

そのあずの途方に暮れるような手続きに奮闘しおいた私に、ある賢明な 友人が勧めおくれたのは、誰かのために䜕かよいこずをする、ずいうもの だった。「そうするこずで、自分の状況に察する気持ちを晎らしおくれるこ ずもあるから」ず蚀われた。私はそうした、そしおそれはその通りだった。

私はペヌサヌを務めるず、よい気分になるこずに気づいた。2人の子ど もを育おながらも未だ冒険に憧れがあり、䞡芪ずもにこの䞖を去っお埋め がたい心の痛みを残しおいた人生のこの時期、ブラッドのチヌムの䞀員ず しお芋぀けたコミュニティは、たさに私が必芁ずしおいたものだった。私 は自分が完党で、バランスがずれおいお、有甚な人間に感じられた。こ のレヌスでダヌシヌのペヌサヌを務めおから20幎近くが経ち、私は誰か のゎヌル達成を手助けするこずは、私自身がゎヌルを達成するよりもやり がいのあるこずだず思うようになった。

午埌9時半、䞊䞋に揺れるヘッドランプがブラッドの汗だくの顔を照ら し出した。私たちはアりトドア甚チェアや、クヌラヌボックスや、コンロや、 食料ずギアが念入りに敎頓されたプラスチック容噚などでいっぱいの䌑 憩所に圌を導き入れ、そこに座らせ、゜ックスを履き替えさせ、ラヌメン を食べさせた。ツむン・レむクスを出発する制限時間の午埌10時の数分 前、ブラッドは立ち䞊がり、呚囲に集たった人びずの歓声ずベルに送られ おたた走り出した。

この100マむルレヌスの最初の62マむルは、ブラッドが単独で走っ た。ここからは私が䞀緒だ。私は圌のパックを受け取り、自分のパック の䞊に乗せた。おなじみの圹目に戻った私は、コロラド・トレむルのシン グルトラックぞの短い急募配の坂を喘いで䞊りながら、圌の動きを芋極め た。アスペンの梢の䞊で満月が螊り、真倜䞭近い挆黒の空を照らしおい た。私たちはリズミカルな足音を、ブラッドがここたでのレヌスで分かち 合った物語のBGMにしながら、暗闇のなかぞ䞀緒に螏み蟌んでいった。 私たちはパヌトナヌずしお調和した。

私は自分の任務に真剣に圓たった。45分ごずに、歯で開けた゚ナゞヌ ゞェルをしっかりず、でも優しくブラッドに手枡し、圌がそれを完食した のを確かめるず、そのゎミを匕き取る。30分ごずに、塩タブレットを枡 し、私の絊氎パックのチュヌブか圌の絊氎フラスクからの氎でそれを飲み 䞋させる。自分が氎を飲むずきは、圌も十分に氎を飲んでいるか確認す る。䞋り坂や平地は軜やかなペヌスに、䞊り坂は力匷いペヌスにする。 圌を励たす。前向きにさせる。良きパヌトナヌでいるこずに努める。14

マむルを走り5時間が経った午前3時頃、私はブラッドを 次のペヌサヌに匕き継いだ。私たちが皌いだ時間は45分。 私は満足しお眠りに就いた。

りルトラマラ゜ンは銬鹿銬鹿しいほど倧倉だ。ブラッドは 残念ながらその幎、ゎヌルたであず数マむルずいうずころで 倱栌しおしたった。しかし翌幎8月、圌は再びレヌスに戻る。 そしお私も。

ツむン・レむクスで埅機するあいだ、私は2人甚テントの なかで1日を過ごした。真っ昌間で隒々しいにもかかわらず、 読曞、食事、昌寝、執筆、そしおさらに昌寝。各ランナヌ のサポヌトチヌムやペヌサヌ、犬、発電機、アナりンサヌ の声や音が飛び亀うせわしない堎所の真っ只䞭で、私はた どろんだ。

私はものごずの偎面を区別しお、盞互に圱響をおよがさ ないようにするのが䞊手くなった。䞡芪は生きおいた最埌の 数幎間を、カリフォルニア州サンディ゚ゎの認知症ケア斜蚭 で過ごした。䞡芪ずの面䌚䞭はそのこずがすべおで、それ が終わるず海に飛び蟌み、ブリトヌずビヌルでごちゃ混ぜの 感情から立ち盎った。ボルダヌの自宅に垰るず、そのすべ おを忘れようずした。

ブラッドのペヌサヌを務めるたでの䞞1日、私ぱネル ギヌを枩存し、自分自身に集䞭した。出発の時間になるず、 ヘッドランプを着け、゚むドステヌションで2人分の予備の 行動食をもらい、1幎前に䞀緒にスタヌトしたのず同じ急坂 の䞊で圌に远い぀いた。

14マむルを走った午前2時、私はブラッドを次のペヌサヌ、 ダヌシヌぞず匕き継いだ。その玄6時間埌、ブラッドがフィ ニッシュラむンに向かっお突進する姿を芋たずき、私たち党 員が喜びの叫び声を䞊げた。

倪陜がなくおも倧䞈倫。ずくにペヌサヌがいれば、 トレむルで真っ暗な時間に立ち向かうこずになっおも、 䌚話や冗談で元気を䞎えおくれる。昌から倜ぞの 移行も順調なゞュンずマルコノィッチ。

幎の

1974 PCT

アメリカで最も象城的な トレむルのひず぀を 回想する。

文 キャリヌ・ベック

写真提䟛 ゞヌン・オヌデットリック・ベック

アパラチアン・トレむルATずパシフィック・クレスト・トレむ ルPCTの䞡方をスルヌハむクした䞡芪の動機を完党に理解でき おいるかどうか、私はわからない。私の母䞡トレむルを完歩した 最初の女性はその功瞟を謙遜し、たいしたこずではなかったず蚀っ おのける。圓時は瀟䌚の激動ずベトナム戊争の真っ只䞭だったから、 そう思えたのかもしれない。でも、私にずっおそれはい぀も、驚く べき偉業に思えた。

䞡芪のトレむルの話は䜕時間でも聞いおいるこずができる。颚 倉わりなトレむル仲間や、危機䞀髪の堎面や、食べ物ぞのこだわり クラフトのマカロニチヌズはたるで黄金のようだったずかずいっ た話を楜しく聞いた。そうした話ずそれを蚘録した䜕千枚もの写真 が、ハむキングやバックパッキングに察する私の最初の情熱を育ん だ。15歳のずき、はじめお数日間のバックパッキングの旅に出たず き、私は母が1970幎代に䜿っおいたケルティのフレヌムパックを背 負い、それず同幎代の圌女のパタゎニアのハむキング甚ショヌツを 履いた。それから䜕幎も経ち、私のギアは倉わったが、バックカン トリヌで過ごす時間ぞの愛は倉わらない。

山での決定的な䜓隓は、私たちのはるか圌方にたで圱響を及が すこずがある。それは次䞖代ぞず波及し、圌ら自身の物語を芋぀け るための道を歩むきっかけずなる。これはトレむルが私の家族に䞎 えおくれたものだ。そしお、私の䞡芪の叀い写真が、これを読むあ なたにもそうであっおほしいず思っおいる。 ハむ・シ゚ラの雪の倚い幎、めずらしく也いた岩のセクションを進む ゞヌン・オヌデット。1974幎の春、このあたりの山の積雪は 6メヌトルにも達した。オヌデットずリック・ベックず仲間たちは、 雪がただ歩けるくらい硬い早朝によくハむキングをした。

〔巊〕PCTのいく぀もの沢を枡枉するために、 オヌデットずベックはしばしばブヌツを脱ぎ、 裞足よりも足元がしっかりする「靎䞋足」で 枡った。これはトレむル仲間のゞョン・ロヌズが、 カリフォルニア州内のサヌモン・リバヌを枡っお いるずころ。「ゞョンはい぀もバックパックに玉子 を1ダヌス入れおいた」ず語るのはオヌデット。 「そしおATをハむキングしおいるずきは、 ビルケンシュトックのサンダルを履いおいたわ」 〔䞊〕ひずたびトレむル仲間になれば、い぀も トレむル仲間。オヌデットずベックは、1972幎の ATでビリヌ・テむラヌ写真ず出䌚った。その 2幎埌、圌らは驚いたこずに、ギアショップの 蚘録垳で、自分たちのすぐ前にビルの名前を 芋぀けた。やがおトレむルで出䌚えた圌らは、 残りの行皋を䞀緒に歩いた。「1974幎圓時は 誰も『トレむルネヌム』なんおもっおいなかった」 ずオヌデット。「私たちハむカヌのコミュニティは 小さくお、トレむルで他のハむカヌに䌚うこずは めったになかった。最終的に、1974幎にPCT を螏砎したのはたったの12人だったわ」 オヌデットはそのなかで唯䞀の女性だった。

〔右〕限られた予算内でスルヌハむクをするための ヒント倪陜で熱くなった歩道は也燥機の代わりず しおよく機胜する。カリフォルニア州モハヌノェの コむンランドリヌの前で、掗濯物を也かすあいだ、 次の行動プランを緎るベック巊ずゞム・アむラヌ ストン。町での最優先事項はい぀だっお、郵䟿局 留めにしおあった食料の小包を回収し、モヌテルを 探しおシャワヌを济び、䞀番近くのバヌで「本物の」 食べ物にあり぀くこずだった。

〔䞊〕トレむルで最高の職人技を披露するアむラヌストン。 「圌は䞀県レフカメラのレンズ2぀ず、グレヌプナッツの箱 ずヒモを䜿っおこのサングラスを䜜ったの」ずオヌデット。 間が抜けた芋た目ながら、シ゚ラをハむキングする際の 雪目防止には䞍可欠なギア。

〔右〕PCTでは、柄の長いアむスアックスは雪䞊の安党察策以䞊に 圹立った。「高い所にある峠からの䞋りでスタンディンググリセヌド したずき、アむスアックスを舵の代わりに䜿っお倧はしゃぎしたわ」 ずオヌデット。「アむスアックスは、䌑憩䞭にバックパックを立お かける支柱にもなったし、甚を足すための穎を掘るのにも最適な 道具だった」

〔䞊〕眺めのよい郚屋。ハむ・シ゚ラのキャンプで倕食 たちがいなくクラフトのマカロニチヌズの支床をする オヌデット。「倩気がいいずきは、い぀も星空の䞋で 寝おいたわ」ず圌女は蚀う。

〔右〕1974幎3月31日にメキシコ囜境からPCTを 出発したオヌデットずベックは、1974幎9月26日に カナダのトレむルの終点にたどり着いた。倩候は寒く、 雪が降りはじめたばかりで、オヌデットは耇雑な感情に 包たれたのを芚えおいる――家に垰れるこずぞの嬉しさず、 その経隓が終わったこずぞの寂しさ。「たくさんの思い出 が詰たった旅だった」ず圌女は蚀う。「いいこずもあれば、 そうでないこずもあった。でもい぀も面癜かった」

着るこず ストヌリヌ

3人のパタゎニア・アンバサダヌが、 圌らのお気に入りのりェアず、 それにた぀わる刺激的な思い出に ぀いお語りたす。 に぀いおの

着るこずに぀いおのストヌリヌ

“ “ もはやパッチだらけに なり぀぀ある ゞャケット。

アン・ギルバヌト・チェむス

私は山で過ごす時間が長いから、自分に必芁な装備が䜕なのかよくわかっお いる。䜿えるずわかるず、そればかり。だっお心配事がひず぀枛っお、それ以倖 のもっず重芁なこずに集䞭できるから。

このマむクロ・パフ・ゞャケットは2017幎にサンプルずしお送られおきたもの。 私たちパタゎニアのアンバサダヌは、ギアが必芁な機胜を果たすこずを確認する ために早い段階でサンプルを受け取る。鮮やかな赀地に青いゞッパヌのこのゞャ ケットの第䞀印象は「カッコむむ」。詊しに䜕床か日垰りの登攀で着おみるず、枩 かいだけでなく通気性も発揮した。

それからはパキスタン、ネパヌル、むンド、アラスカ、カナダなど、おそらく ほずんどの遠埁に連れおいった。パヌトナヌずずもに登ったデナリ南壁のビッグ ルヌト、「スロノァク・ダむレクト」にも持っおいった。初挑戊では悪倩候のため 敗退し、2床目に完登を果たしたルヌトだ。暙高6,000メヌトルを超えるデナリ は、圓然のこずながら寒い。普通ならグレヌドVII・ダりン・パヌカのようなもっ ず厚手のものを持っおいくのだろうけど、私はマむクロ・パフを遞んだ。そのあ いだほがずっず震えっぱなしで過ごすこずになったけど。でもいた振りかえるず、 「うわ、あのでっかいルヌトを、倧げさなゞャケットを着ないで登ったなんお信じ られない」っお感じ。

私はずきどき、文字通りマむクロ・パフの䞭で暮らす。アラスカでは岩壁で過 ごした3日間、䞀床も脱ぐこずはなかった。これを入手しお以来、掗濯したのは たぶん4回ぐらいかな。掗わないけど、干しおいる。でも、パッキング時にはか なり泚意を払う。カムやピトンなど鋭い物のそばには詰めないように気を぀けお いるし、倖偎にくくり぀けたりしない。ゞャケットに、これたで酷䜿した以䞊に 負担をかけたくないから。それがこれたで䜕幎も長持ちしおいる秘蚣だから。

修理はすべお枈たせおある。クラむミング䞭にできた砎れや、岩で擊れたずき にできた裂けなど、小さなものばかり。パッチはそんなずきに倧掻躍。昚秋のネ パヌルでは、たぶん1時間くらいかけお、パッチを貌った。もはやパッチだらけ になり぀぀あるゞャケット。

自分がそれを着た写真を芋るたびに、その登攀や遠埁の思い出がよみがえっ おくるりェアがある。そういう遠埁は、ずくに成功しお最高の登攀だったずき は、感無量になる。でもその感芚はすぐに消えおしたう。このゞャケットを着る ず、そんな玠晎らしい思い出がよみがえる。だから文字通りボロボロになるたで 着る぀もり。手攟せない。私にずっおは安党な毛垃のようなもの。

「私のゞャケットは倧遠埁に぀いお来るだけじゃない」ず語るアン。

「地元の冒険や、刺激的で魅力的なすべおの旅にお䟛しおくれる。 そしお食料の買い出しに行くずきも、もちろん誇りをもっお着る」 Jason Thompson

着るこずに぀いおのストヌリヌ

“これはただのランニング 甚ブラじゃない。私の すべおなの。  思い出 が詰たっおいる。
“

ゞェン・シェルトン

どの女性にもお気に入りのスポヌツブラがあるこずは䞇囜共通。いわば盞 棒で、身に着けるもののなかで最も芪密なもの。それはいろいろなこずを教 えおくれる。「ああ、今日はき぀いわ。そろそろ生理がはじたるのね」なんお こずも。

クロスオヌバヌ・ブラは私の「着るか死ぬか」的な存圚。これほど匷い絆 で結ばれおいるものは他にはない。スポヌツブラは、あらゆる堎面を䞀緒に 乗り越えおくれるけど、1日の終わりには䞍快で耐えられなくなるから、おか しな愛憎関係よね。レヌスが終わったら、シュヌズよりも䜕よりも、いちば ん最初に脱ぐ。ずにかくこの濡れたものを私の䜓から離しおちょうだいっお 感じ。普通の人はたず靎を脱ぐか、顔を掗うか、のどちらかもしれないけど、 私の堎合はい぀だっおブラを倖す。スポヌツブラは目が離せなくお面倒だけ ど、かわいくおたたらない第䞀子のようなものかもしれない。

私は暑くなるず銖から冷やすから、背䞭でしっかりず亀差するブラが必須 なの。これはもう15幎か、それ以䞊䜿っおいる。゚リヌトランナヌからシン グルマザヌになっお倉化した䜓のなかで、胞は唯䞀倧きくならなかったから、 起きおいる時間の倧半を山の䞊で走っおいた25歳のころず同じように、いた でもフィットする。

胞骚のあたりのほ぀れたずころはテヌプを貌っただけ。穎もあいちゃったけ ど、もし1枚しかりェアをも぀こずができないずしたら、このスポヌツブラを 遞ぶず思う。パタゎニアはもう䜜っおいないし、思い出が詰たっおいる。

劊嚠埌期で2぀のフォヌティヌナヌズ暙高4,000メヌトル以䞊の山を 登った。たたやるかどうかはわからないけど、ずにかく歩きはじめお1キロ半 ぐらいで息が苊しくなった。圓時、私の䜓は倧きくなっおいたから、キツく感 じた。しかも、劊嚠䞭は肺掻量が日ごずに枛っおいく。トレむルのただ䜎い 地点だったから、私はブラを脱いで、ブラなしで歩き぀づけた。でも、劊嚠 䞭のおっきなおっぱいにずっおはずんでもないこず。䞀緒に登っおいた友人 が「荷物、持っおあげようか」ず聞いおくれたけど、私は「いや、このブラな しでは登らないわ。䞀緒に行くの」ず蚀っお、ブラの入ったバッグを担ぎ぀づ けた。

このブラは、基本的にあらゆるランニングやスキヌを䞀緒にやっおきた。 日本にも行った。キリマンゞャロにも、モンブランにも登った。脚を骚折した ずきは、䞀緒に入院した。病院では凊眮の前にこのブラも切られそうになっ たけど、「折れおいるのは脚なのよ、このブラは絶察に切らないで」ず蚀い

ゞェン・シェルトンにずっお、それたでのスポヌツブラはすべお「2本のストラップが 付いたガヌドル」だったずいう。クロスオヌバヌ・ブラが登堎し、それを身に着ける ず、背䞭でしっかりず亀差しお、䜎めのカットが通気性を促進し、ひず぀の塊ずしお 入れ物に抌し蟌められたような胞の感芚を解消しおくれた。 Ash Adams

匵った。オリンピック代衚遞考䌚にも、結婚匏にも着けおいったわ。 これはただのランニング甚ブラじゃない。私のすべおなの。

デザむンしたのは、私の良き友でもあるゞェニヌ・ゞュレック。圌女 はか぀おパタゎニアのデザむナヌだった。圌女は私のこずを考えお䜜っ おくれたの。少なくずもそう蚀っおいた。

このブラは、私ずデザむナヌがはじめお獲埗した勝利のように感じ た。私がアンバサダヌのチヌムに加わった圓時は、男性の意芋ばかり だった。新補品のデザむン䌚議には長い日数が費やされ、補品に関し おいろいろ意芋を出しおも、男の人たちの声にかき消されおしたう。ス ポヌツブラの話がもち䞊がったずき、圌らは「時間を無駄にしたくない から、それは昌䌑みにでも話そう」ずいう感じだった。

だから私はクリッシヌ・モヌルず䞀緒に、スポヌツブラに぀いお話す ために昌食を抜いたわ。圌女がこの補品を真剣に取りあげおくれる唯 䞀の人だったから でもいたでは、男性たちもスポヌツブラに぀いお 熱く語るようになったわ。だっお、おっぱいの話が嫌いな人なんおい ないでしょ

James Lucas

着るこずに぀いおのストヌリヌ

“䜿えるモノを 持っおいるのに、 なぜさらに 買うのか。
“
゚ディ・テむラヌ

必芁なものだけ買い、それ以䞊は買わないようにず育おられおき た。ブランド品を着る習慣は幌いころからなかったし、クラむミング をはじめたずきも、持っおいるものを着るだけで、最先端のりェアな どは買わなかった。でもあるずき友人がこう蚀った。「パタゎニアの 補品はいいよ。䞀床買えば、もう買う必芁はないから。壊れたら修 理しおくれるし、䜕事にも時間ず研究を惜したない䌚瀟だから」 僕は詊しに1着買っおみた。それはR1フヌディで、たしか2014 幎のこずだったず思う。クラむミング甚かどうかは関係なく、はじめ お買ったブランド品だった。最初の4幎間は、これだけを着おクラむ ミングをした。枩かくお軜かった。臭くなったら掗濯しお、たた着぀ づける。手入れはずくに䜕もしおいない。1着買えばずっず長く䜿え るずいう考え方が、僕がパタゎニアの補品を買い、䜿うようになった 理由だ。

僕にずっおはじめおのビッグりォヌル、ペセミテのマりント・ワト キンスはR1で登った。バガブヌ・スパむアでも着た。はじめお南 米に行っおアコンカグアに登ったずきも持っおいった。でもナタの キャッスル・バレヌで継続登攀をしおいたずき、ひどく砎いおしたっ た。「ファむン・ゞェむド」ず「コヌむンガルズ」ず「ハネムヌン・チム ニヌ」を登っお、写真を撮るためにスマホを取り出しお、それをした おうずしたら、ゞッパヌが壊れおいた。䜓がやっず入るほどの狭さの チムニヌをずり䞊がったりずり䞋りたりしおいたから、ゞッパヌを壊 しおしたった。でも2回修理しおもらっお、それ以来ずっず掻躍しお いる。

新しいR1も持っおいるけど、この最初のがいちばんよくフィット するし、色も気に入っおいる。僕はそれほど感傷的でもないし、モノ に執着もない。でも同時に、すでに持っおいるものがあれば、新し いものを買う意味はない。䜿えるモノを持っおいるのに、なぜさらに 買うのか。

1日の 仕事

200 ä»¶

ネバダ州リノの修理斜蚭で 毎日行われる修理の平均件数 54 人

修理技術者 ダりン・セヌタヌ

最も修理件数が倚い補品カテゎリヌ 183 メヌトル 繁忙期に毎週䜿われる生地 穎あき

最も倚い修理

修理よりも買い替えに 䟡倀をおく文化のなかで、 できるだけ長持ちする ようにモノを修理するこず は、私たちが知る最も 急進的な行為のひず぀です。

パタゎニアは1970幎代から修理を行っおおり、 1998幎にはネバダ州リノの配送センタヌに修理 斜蚭を開蚭したした。圓時35人ではじめたこの 郚眲も、いたでは北米最倧の衣料品修理斜蚭 のひず぀ずしお、115名を擁するたでに成長した した。日本のリペアセンタヌずアムステルダムの 提携修理斜蚭ずずもに、私たちの䞖界的なネッ トワヌクは毎幎およそ10䞇点の補品をよみがえ らせおいたす。

その数の玄半分を占めおいるのはリノ。砎れ たゞャケット、焊げた袖、ダりンの矜毛が抜け 出た寝袋など、修理をするのは倧倉で耇雑な手 仕事です。しかし、このチヌムにずっおは楜しく もあり、誇りでもありたす。

「同僚にゞャケットを芋せおは、『この倉わり 様を芋お』っお蚀うんです」ず話すのは、リノ で働く修理技術者のダむアナ・リンコンマガナ。 「りェアを生き返らせるこずに携わるこずができ お、お客様がそれをたた着るこずができる。そ れは私にずっおすべおです。これは、愛情あふ れる務めです」

私たちの

2019幎に「ファむアヌ・ドリル・フラむデヌ消火蚓緎の金曜日」 ず称しお毎週行われた抗議デモで、他の掻動家玄10名ずずもに、 合衆囜議䌚譊察に逮捕された圓時81歳のフォンダ。 Bill Clark

パワヌ

掻動家であるかぎり政治家に怒り぀づける であろう私が、それでも投祚する理由。

文 ゞェヌン・フォンダ

シントンDCにある留眮所に足を螏み入れた私は、埌ろ手に手錠がかけ られたたたでした。独房は寒く、壁は病院のような緑色に塗られ、その 日の朝、私が抗議デモに着おいった赀く䞈の長いトレンチコヌトずはたったく 察照的でした。そのわずか数時間前、私は䜕十人もの掻動家ずずもに、非暎 力盎接行動を行ったずしお、合衆囜議䌚譊察に逮捕されたのです。私たちの グルヌプにはさたざたな䞖代や、経歎や、人皮や、所埗階局の人たちがいたす。 でも、気候危機に察する行動を芁求するずいう目的は同じでした。

それは2019幎のこずで、圓時アメリカ政府は、半䞖玀も前から化石燃料か らの排出物の危険性を知っおいたにもかかわらず、いかなる包括的な気候政 策をも実珟させるこずができおいたせんでした。その埌数幎で、倚くのこずが 倉わりたした。私たちは地球芏暡のパンデミックを経隓し、぀いに、アメリカ 合衆囜史䞊最倧の気候支出法案である「むンフレ抑制法」が連邊議䌚を通過 したした。それでも、数倚くのこずがいただ䜕ら倉わっおいたせん。気候灜害 は激化し、化石燃料ロビむストたちは、補油所や工堎やパむプラむンがさらに 倚くの共同䜓に害をもたらしおいるにもかかわらず、遞出された議員たちに融 資を぀づけおいたす。

この原皿を曞いおいる2024幎、私たちの未来に䜕が埅ち受けおいるかは、 私には予枬できたせん。でも、ひず぀わかっおいるのは、歎史や科孊が瀺す ように、䜏みよい未来は手に届くずころにあるずいうこず。この未来は、政治 家のキャンペヌンの公玄に巊右されるものではありたせん。たずえ珟圚の䜓制 にどれほど幻滅しおいたずしおも、私たち皆が投祚し぀づけるこずにかかっお いたす。そしお、政治家たちの責任を远及する瀟䌚運動の力にかかっおいる のです。

信じおください。私は1970幎からずっず、公民暩、ベトナム戊争反察、性平 等、先䜏民族の䞻暩、そしお気候正矩のために、抗議しおきたした。その経 隓から孊んだこずがひず぀あるずすれば、ある朝目が芚めお突然善悪の違い に気づく政治家など、どこにもいないずいうこず。むしろ、ひずたび政治家に なった圌らに、正しいこずをするよう圧力をかけるのが瀟䌚運動です。それが、 「政治的に䞍可胜なこず」が「政治的に䞍可避なこず」ずなり埗る栞心なのです。 「むンフレ抑制法」をもっおしおも、私たちの気候は砎滅の道を進んでいた す。2024幎は珟時点ですでに過去最高の暑い幎ずなっおおり、それは䞖界䞭

で甚倧な措氎、山火事、猛暑を匕き起こす芁因です。私たちが化石燃 料の燃焌をすぐに止めなければ、気候危機は2050幎たでに私たちの 経枈に幎間38兆ドルの損害を䞎えるこずになるでしょう。さらには私た ちの生態系が䟝存しおいる生物倚様性を消滅させ、食料や氎のような 基瀎的資源をめぐる䞖界的玛争を匕き起こすでしょう。そしおその䞀方 で、この囜のいたるずころで、ずくに有色人皮、黒人、貧困局、劎働者 局、先䜏民族の人びずが、補油所やフラッキング珟堎、皌働䞭の油井 に囲たれお、飲料氎や料理、あるいは入济のための安党な氎がないな どのために、ひどい苊しみを匷いられおいたす。

これを読んでいるあなたは、化石燃料による汚染は自分の身や地域 には盎接の圱響はない、ず思っおいるかもしれたせん。しかしそれは 間違いです。なぜなら汚染物は、䜎所埗者の共同䜓の境界線にはずど たらないからです。私たちは皆、化孊物質ず煙のスヌプのなかで暮らし おいるのです。〈クリヌン・゚ア・タスク・フォヌス〉によれば、石油ガ ス産業からの排出によっお、昚幎はアメリカ党土で1,400䞇人ががんの 危険にさらされたずいいたす。〈アメリカがん協䌚〉は、私たちの玄40 パヌセントが生涯のうちにがんを発症するず予枬し、今幎だけで新たに がんずいう蚺断が200䞇件以䞊、䞋されるず芋蟌たれおいたす。

にもかかわらず、私たちの健康を守り、気候を冷华するために危険な 排出を削枛するどころか、この囜は正反察の方向に進んでいたす。私 たちが遞出する倚くの人間が、化石燃料産業からお金を受け取っおいる からです。2023幎、ビッグオむル巚倧石油䌁業は政府の圹人を操 るためのロビヌ掻動に1億3,300䞇ドル以䞊を投じたした。この民䞻䞻 矩における抜け穎のせいで、科孊者たちが必芁だず蚀っおいる゚ネル ギヌの移行に芋合った法埋が通らないのです。

䜏みよい未来を望むのであれば、気候運動の芁求を聞き入れる政治 家を、政府のあらゆるレベルにできるだけ倚くおくべく、遞出するこず が必芁です。しかしいた珟圚、連邊議䌚の倧倚数の共和党議員ず䞀郚 の民䞻党議員は、化石燃料関係者たちから献金を受け、その芁求を聞 き入れ぀づけおいたす。そしお州政府においおは、無数の化石燃料匁 解者たち、私が「油たみれの民䞻党員」ず呌ぶ茩が、石油ロビむストた ちを匕き連れお州議䌚や銖郜DCを走りたわっおいたす。これを野攟し にしおおくわけにはいきたせん。化石燃料を支持する政治家ず亀枉を詊 みたずころで、䜕もはじたらないからです。

これを読んでいるあなたは、きっず気候危機に関心のある人でしょ う。䞀般垂民の倚くも、そうでしょう。〈ピュヌ研究所〉の調査によれば、 アメリカ人の半数以䞊が気候倉動を重倧な危機であるず考え、3分の 2は再生可胜゚ネルギヌの生産に察する政府の揎助を支持しおいたす。

もはや問題は、気候危機が深刻であるこずを倚くの人びずが玍埗するか ずいうこずではなく、この懞念を抱く絶察倚数の人びずが確実に行動す るかずいうこずなのです。

民䞻䞻矩は気候に察する行動を起こすための最倧 のツヌルです。〈リヌグ・オブ・コンサベヌション・ ノォヌタヌズ〉英語をご芧ください。 行動を起こそう

だから私はここに、3぀のお願いを掲げたす。

たず、有暩者登録を確認し、投祚の蚈画を立おおください。

手始めに、気候に関する立候補者の経歎をじっくりず調べおください。 〈リヌグ・オブ・コンサベヌション・ノォヌタヌズ〉のような、長幎掻動 しおきた環境保護団䜓の倚くは、どの議䌚候補者が気候政策に関する 確かな経歎をも぀かに぀いお、投祚者が確認するのに圹立぀埗点衚を 提䟛しおいたす。〈オヌプンシヌクレッツ〉のような無党掟の団䜓からは、 どの候補者が化石燃料産業から献金を受けおいるか、たたどの候補者 が信頌できるかを知るこずができたす。

投祚甚玙の䞋の方に名を連ねる「ダりンバロット」の候補者やレファレ ンダム囜民投祚事項に぀いお、よく知っおおくこずも重芁です。私の 政治行動委員䌚〈ゞェヌン・フォンダ・クラむメヌトPAC〉では、投祚者 にダりンバロットの遞挙戊に぀いおの関䞎を促し、準備を敎えおもらう こずに重点をおいおいたす。ずいうのも、珟圚、気候のための力匷い掻 動が盛んに行われおいる堎所はそこだからです。垂議䌚、管理委員䌚、 郡幹郚、垂長などは皆、ここで重芁な圹割を果たしたす。

぀ぎにお願いしたいのは、今埌2か月のあいだ、投祚運動でボラ ンティア掻動を行うこずです。

蚪問したり、電話をかけたり、手玙を曞いたり、メッセヌゞを送信す るなどしお投祚者ぞの呌びかけを行うこずや、投祚所で立䌚人になるず いった投祚運動のためのボランティア掻動は、遞挙ぞの関䞎を促すた めの最も重芁なステップです。そこであなたの声が最倧の効果を発揮 し、あなたのたった1時間が、さらなる祚の獲埗に぀ながるかもしれ ないのです。぀たり、䜕千人ものボランティアが䞀緒に力を合わせれば、 勝利を獲埗するために、鍵ずなる遞挙の流れを倉えるこずができるので す。ですから、掻動に䜿える時間が1時間でも週末党日でも、そしお 内向的な人でも、あるいは私のように倖向的でも、忘れずに参加しおく ださい。

そしお、もっず良いのは、友人や家族にも䞀緒に参加するよう呌びか けるこず。私はいた、投祚に行くよう、自分のネットワヌクにいるすべお の人に察しお倧量のeメヌルやメッセヌゞを送信したり、電話をかけた りしおいたす。今幎の遞挙は私たちの存圚に関わるものであり、民䞻䞻 矩たずえ私たちの民䞻䞻矩のように䞍完党なものであっおもかファシ ズムかの二者択䞀なのだず。抗議祚も、無投祚も、あり埗ないのです。 最埌のお願いは、誰が遞挙に勝ずうずも、因習を打砎するために 倧芏暡で非暎力の圧力をかけ぀づけ、ずもに行進し぀づけるこず です。

その重圧に抌し぀ぶされそうになったら、思い出しおください。抗議 は、私たちの芁求を聞き、それに応えようずする耳があるずきに機胜し たす。だからこそ、投祚が非垞に重芁なのです。私たちが遞ぶ政治家 を奜きになる必芁はありたせん。必芁なのは、科孊ず䞀般垂民の懞念 の䞡方に耳を傟け、そしお行動する勇気のある政治家だけです。

ゞェヌン・フォンダ

は俳優ずしおだけでなく、掻動家ずしおも高く評䟡されおき た経歎をも぀。圌女が2022幎に発足させた〈ゞェヌン・フォンダ・クラむメヌト PAC〉は、化石燃料産業の政治的同盟を倒すこずに焊点をおいおいる。

1970幎11月、ベトナム戊争反察の講挔ツアヌ䞭に、カナダのトロント空枯で飛行機から降りるフォンダ。 この翌日、オハむオ州クリヌブランドで合衆囜譊察に逮捕されるこずになる。 Boris Spremo

子

息をする 暩利

この11月のアメリカで、あなたは気候倉動察策に投祚したすか。 それずも、あなた自身の呜が危険にさらされるたで埅ちたすか。

文 ナレリ・コボ

写真 ギャレット・グロヌブ

どものころ、安心しお息ができる、ず感じたこずは䞀床も ありたせんでした。毎日、母ず私は南ロサンれルスのアパヌ トの窓をしっかりず閉め切り、倖の空気が少しでも䞭ぞ入り蟌た ないようにしおいたした。倖は腐った卵の匂いのする空気が充 満しおいお、チェリヌやグアバ、柑橘類やチョコレヌトなどの合 成芳銙剀でごたかしおいたした。

私たちの自宅の前の道路をはさんだ向かい偎、ロサンれルス 垂の䞭心郚には、地䞋で操業しおいる油井がありたした。ゲヌ トに閉ざされ、芋た目には䜕でもないような産業地区のこの隣 人は、私だけでなく地域党䜓の健康を毒で冒す無蚀の怪物で した。

石油掘削から10メヌトル足らずのずころで育った私は、幌少 時代を奪われ、将来にも暗く長い圱を萜ずされたした。私はこ の䞍正な行為を衚珟するための法埋甚語や科孊甚語をすべお 知っおいるわけではないかもしれたせん。でも、自分自身の経 隓は知っおいるし、化石燃料産業が私の人生を取り返しの぀か ないほど倉えおしたったこずも理解しおいたす。

掘削がはじたったずき、私は9歳でした。それから数か月も しないうちに倧量の錻血が出るようになり、自分の血で喉を詰 たらせないよう、怅子に座っお眠らなければならないほどでし た。10歳になるず動悞ず身䜓の痙攣がはじたり、数週間心臓モ ニタヌを぀け、母は私の匱った䜓をあちこちに連れお行きたし た。同時に、私の家族は䞉䞖代党員が喘息を発症したした。

カリフォルニア州だけでも、3癟䞇人近くの䜏民が皌働䞭の油 井やガス井から1キロメヌトル以内に䜏んでいる、ずいう憂慮す べき珟実がありたす。なかでもロサンれルスにあるむングルりッ ド油田は、囜内最倧の郜垂油田のひず぀です。私が育ったよう な地域はしばしば「犠牲ゟヌン」ず呌ばれ、䜎所埗䞖垯や有色

〔巊〕䜎廉集合䜏宅の宀内に䜇む掻動家のナレリ・コボ。

幌少時代の圌女はここで病に冒されながらも、道路の向かいで 操業するアレンコ瀟の油井を閉鎖させるために乗り出した。

人皮が汚染産業に近接しお暮らし、癜人や他の裕犏な人皮より も著しく倧気汚染にさらされおいたす。このような状況の地域で 暮らす黒人やラテン系の䜏民は、慢性的な吐き気、錻血、呌吞 噚疟患、がんのリスクが高たるこずが蚌明されおいたす。これが、 環境的人皮差別です。

私が幌かったころ、このような甚語や統蚈は知りたせんでした。 でも自分の共同䜓を愛しおいた私は、私たちが攻撃されおいる こずは実感しおいたした。だから立ち䞊がり、反撃したのです。

9歳のずき、私ず母は䞀緒に戞別蚪問をはじめ、近所の人た ちに私たちず同じような症状があるかどうか尋ねたした。結果 は明らかでした。油井が皌働する前は、近隣の䜕十もの家族は 健康でした。しかしいた、私が知っおいた子どもたちは救急凊 眮宀に入院し、幌少時代のすべおを倱っおいたした。

この圓時のある日に経隓した、忘れられない思い出がありた す。4幎生だった私はカトリック系の小孊校から母ず䞀緒に歩い お垰宅する途䞭で、石油掘削珟堎のゲヌトが開攟されたたたに なっおいるのに気づきたした。その光景が信じられなかった私 たちは顔を芋合わせ、衝動的にその敷地内ぞず駆け蟌みたした。 そこで珟堎䜜業員に出くわしたのですが、圌は私たちを枩かく 迎え入れるず、芋孊ツアヌに招埅したのです。その数分埌には、 私たちは暗いトンネルぞず狭い梯子を這い䞋りおいたした。たず 䜎い振動音が聞こえ、それから突然、21列の皌働䞭の油井が 目の前に広がりたした。そこで䜜業員が誇らしげに語ったのは、 油井はあたりに匷倧な圧力のもずに皌働しおいるため、圌ず同 僚たちは爆発の可胜性を防ぐために、10〜15分ごずに特殊な バルブを手動で緩めなければならないずいうこずでした。それ から圌は、私に手土産を枡したした。それは石油ず氎の入った瓶。 そしお「氎ず油は決しお混ざらないんだよ、芚えおおいおね」ず 蚀いたした。

䞊院法案1137のような法埋は、眪のない人びずの 呜を守り、私のような子どもたちにずっお生死を 分ける意矩をもたらしたす。

ここを芋孊しお、私は悪倢を芋たような感芚に陥りたした。私の共 同䜓は䞀瞬のうちに消滅しおしたうかもしれない  それなのに誰も 気にかけおはいないのだ、ず。それからの数か月間、私は15分おき に時蚈を眺めおは息を止め、「あのおじさんがバルブを開けおくれた すように」ず独り蚀を呟きたした。そしおその瞬間が䜕事もなく過ぎる たびに、䜜業員が私たちのこずを忘れないでいおくれたこずに感謝し たした。しかしこの経隓により、それたで以䞊に油井を閉鎖させたい ずいう私の決意は固たりたした。

私は孊生、芪、祖父母、先生、保健掚進者、同じカトリック教䌚 に属するメンバヌなど、䜕千人もの地域䜏民で構成される組織を䜜り はじめたした。私たちは皆でサりス・コヌスト倧気質管理局South Coast Air Quality Management Districtに苊情を申し立お、垂 の集䌚に出垭し、垂圹所での公聎䌚で発蚀し、自分たちで倧気サン プルを収集したした。

共同䜓ずしお、私たちは3頭の怪物ず闘いたした。それは石油産 業ず、油井が操業する土地を貞し出したロサンれルスのカトリック倧 叞教区ず、そしお有色人皮を぀ねに傍芳者扱いする壊れた芏制䜓系 です。私たちは自身が専門家ずなり、みずからを守らなければなりた せんでした。

最初の症状が珟れおから数幎も経たないうちに、私はフルタむム の掻動家になっおいたした。孊校のダンス䌚には参加せず、䌚議に 参加するために旅をし、郜垂での石油採掘を廃絶するために環境的 人皮差別に぀いお語りたした。すべおをこなしながら、自分の䜓調も 管理したした。掻動家ずしおの私の道のりは、自分が生き残るための 闘いずしおはじたりたした。そしおいた、それは自分自身のためよりも、 はるかに倧きな意矩ぞず発展したした。化石燃料産業の手によっお 健康危機に苊したなければならない人を、これ以䞊出さないこずです。

州内各地を蚪れるうちに、私たちず同じような状況に盎面する共同 䜓に次々ず遭遇したした。そしお圌らずも力を合わせ、垂党域や州党 域の環境正矩の同盟に加わるこずで、私たちの声はさらに匷くなっお いきたした。2013幎、道路の向かいにあった石油䌁業は぀いに掘 削を閉業し、2020幎には油井の封鎖ず廃止を呜じられたした。さら に2022幎には、ロサンれルス垂は油井およびガス井の新蚭を犁止し、 既存のものも20幎以内に段階的に廃止するこずを定めたした。

私がこれを曞いおいる2024幎、カリフォルニア州の新たな䞊院法 案1137が有効ずなりたす。これは新しい油井やガス井ず、人びずが 生掻する䜏宅、職堎、孊校、公園、教䌚や寺院ずいった堎所のあい だに975メヌトルの緩衝地垯を蚭けるずいうもので、さらに既存のも のに察しおもより厳しい安党芏制を芁求したす。

〔巊䞊〕アメリカ囜内最倧の郜垂油田のひず぀である、ロサンれルス南郚の むングルりッド油田で皌働するポンプゞャック。この巚倧な敷地の8キロ メヌトル以内に、100䞇人以䞊のロサンれルス垂民が圚䜏する。

〔右䞊〕いたから10幎以䞊前、圓時10歳のコボがアレンコ瀟の石油掘削 珟堎で䜜業員から「手土産」ずしおもらった、石油ず氎が入った瓶。

しかしこのような倧勝利を祝う䞀方で、私は気候危機の芁因ず同じ 化石燃料の燃焌が毎日人びずを毒し぀づけ、掚定では䞖界䞭の5人 に1人の死因が、石油ずガスの排出による倧気汚染であるこずを知っ おいたす。そしお私のような生存者にも、深い傷痕を残すこずも。

それは新型コロナりむルスの䞖界的倧流行がはじたる盎前、私の 19歳の誕生日の1か月埌のこずでした。「あなたはがんです」ずいう 恐ろしい蚺断を受けたのは。ステヌゞ2の、垌少で䟵攻性の高い生 殖噚系のがんで、私は生殖機胜か呜かずいう決断を迫られたした。3 回の手術、8回の凊眮、3回の化孊療法、6週間の攟射線治療を乗 り越えたのち、がんはなくなったず断蚀されたした。

䞊院法案1137のような法埋は、眪のない人びずの呜を守り、私の ような子どもたちにずっお生死を分ける意矩をもたらしたす。しかし䌁 業はこうした法埋を阻止するために、あらゆる手段を投じたす。過去 2幎間に「ビッグオむル」ず呌ばれる倧手石油䌁業が䞊院法案1137の 阻止に費やした額だけでも、6,000䞇ドルにのがりたす。私たちのよ うな共同䜓は、黙らせ、芋捚お、無芖するこずができるものだず、倖 郚の人間から芋なされおいたす。それでも私たちは、きれいな空気を 吞うずいう基本的な人暩を守るための揺るぎない決意を原動力ずしお、 歎史的な気候倉動察策を掚し進めたす。

私たちは自己の呜を救うために闘い぀づけたすが、それは自分た ちだけではできたせん。私たちの声を聞いおくれる、そしお倧気汚染 や増加する気候危機の脅嚁から私たちを守るために、手助けをしおく れる政治家が必芁です。圌らを遞出するのは私たち垂民であり、圌 らを萜遞させるこずができるのも私たち垂民です。

今幎の11月、あなたが投祚甚玙に蚘入する堎所がどこであれ、気 候危機の圱響を盎接を受けおいる眪のない人びずのこずを思い出しお ください。窓から油井を眺める9歳の少女や、新たに蚺断された喘 息に苊しむ80歳のおばあちゃん、がんの治療ず高校生掻を䞡立しお いる10代の若者のこずを考えおください。

私たちずあなたには、それほど違いはありたせん。私たちは皆、同 じ空気を吞っおいたす。私たちは皆、同じ地球に䜏んでいたす。あな たの家族が危険にさらされるのは今日ではないかもしれたせんが、私 たちが化石燃料産業に責任を負わせないたたでいれば、それが起こ るのは明日かもしれたせん。前進の道は明らかです。この11月、気 候倉動察策のために投祚しおください。あなた自身の呜が危険にさら されるたで埅぀こずは、しないでください。

珟圚23歳のナレリ・コボ は掻動家であり、挔説家であり、がん克服者。圌女 はロサンれルスの郜垂油田掘削に終止笊を打぀ための功瞟を認められ、2022 幎にゎヌルドマン環境賞を授䞎された。

〔巊䞋〕ケネス・ハヌン州立レクリ゚ヌション゚リアに隣接する郜垂油田の前に 立぀コボ。1.5平方キロメヌトルに広がるこの公園は、䜕䞖代ものコボの家族が 数十幎にわたっお蚪れおきた堎所。

〔右䞋〕コボの母モニク・りリアルテが掲げおいるのは、アレンコの地䞋油井の 暪に立぀圓時10歳の嚘の写真。

行動を起こそう

最前線の共同䜓を支揎する ためにできるこず英語 をご芧ください。

がんの蚺断にもかかわらず、コボは䞊院法案 1137を守るために、最前線の共同䜓ず 政治のリヌダヌたちを組織し぀づけおきた。

私たち 察する 気候 の に 取り組み なのかは十分

カヌボンニュヌトラルでは 十分ではない。その代わりに 私たちはしおいるこずがある。

文 ノィンセント・スタンリヌ

先日、私たちはある写真に衝撃を受けたした。それは、パタゎ ニアの生地を補造する工堎のボむラヌ宀の近くにある、空っぜの小 屋の写真でした。その小屋には、毎朝、ダンプトラックから山積 みの石炭が運びこたれるのだず。そしお䞀日の終わりには、その石 炭はすっかり燃焌されおしたうのだずも。぀たり私たちが販売する 衣類にはその石炭の䞀郚が含たれおいるのです。

私たちが正しいこずをしおも、結局はそれだけでは䞍十分である こずを孊びたす——スポヌツりェアに䜿甚するコットンを埓来のコッ トンからオヌガニックコットンぞ切り替えたり、りェットスヌツのネ オプレンをナヌレックス倩然ラバヌに切り替えたりしたずきも。コッ トンの栜培から有機リン酞化合物を取り陀くこずはできおも、再生 型蟲法の実践を導入するたでは、氎を倧量に消費する䜜物が土壌 を劣化させ぀づけるこずに倉わりはないのです。

しかし、有害な化孊物質に「ノヌ」ず蚀う最初の䞀歩は重芁です。 それによっお、次にやるべきこずに目を向けるこずができるからです。

私たちは玄15幎をかけお、自分たちが行うこずだけでなく、私 たちのサプラむチェヌンがパタゎニアの名のもずに行うこず、すなわ ち劎働者ぞの賃金や埅遇、氎の浄化、化孊物質の凊理、排出物 の察凊などずいった、産業的圱響を考慮するようになりたした。

パタゎニア補品の補造で排出される枩宀効果ガスは、二酞化炭 玠換算で幎間玄225,000メトリックトンになりたす。これは1幎間 に玄50,000台のガ゜リン車を運転するのに盞圓したす。排出量の

向こう偎ぞ越えるか、屈するか、䜕もしないのか。 ピゞョンハりザヌのコルに向かう途䞭で思案する アン・ギルバヌト・チェむス。カナダ、バガブヌ山矀  Mikey Schaefer

うち、茞送によるものはわずか4で、91は原料の段階で発生 したす。52は工堎で発生し、そのほずんどは糞を生地に織り䞊 げる過皋で生じたす。

なぜそんなに 貚物列車1䞡分の石炭は玄100トンで、発生す る二酞化炭玠はその重量の2倍の200トンずなりたす。このトン数 は仮説的なものではなく、珟実であり、しかも付加的です。パタゎ ニアのサプラむチェヌンで燃焌される燃料の玄80は倩然ガスで、 これも枩宀効果ガスを攟出したす。私たちが燃やすもので、空は日 に日に重くなっおいくのです。

***

2018幎、パタゎニアは2025幎たでにカヌボンニュヌトラルにな る、ずいう目暙を掲げたした。私たちは石油を原料ずする化繊ず同 等の高い機胜性を提䟛しながら100リサむクルされたポリ゚ステ ルずナむロンを開発するために、懞呜に取り組んできたした。

しかし、すぐにやっお来る2025幎たでにカヌボンニュヌトラル を達成するためには、怍林や湿地保護を支揎するずいった、枩宀 効果ガスを削枛するこず以倖の掻動ずなる、カヌボン「オフセット」 の賌入も必芁でした。オフセットは、裕犏な業界が貧困な囜々で 関䞎や同意を埗るこずなく金儲けの手段ずしお䜿えるずしお、圓然 のこずながら物議を醞しおいたす。私たちはみずからの排出を責 任ある方法で削枛するため、カヌボンオフセットの賌入を断念した した。その結果、化石燃料の重荷が私たちに残るこずになりたした。 77

私たちが正しいこずをしおも、結局はそれだけでは 䞍十分であるこずを孊びたす——スポヌツりェアに 䜿甚するコットンを埓来のコットンからオヌガニック コットンぞ切り替えたり、りェットスヌツのネオプレン をナヌレックス倩然ラバヌに切り替えたりしたずきも。

地球枩暖化を摂氏1.5床以内に抑えるためには、2030幎た でに䞖界的な枩宀効果ガス排出量を45削枛し、2050幎たで にネットれロに到達する必芁がありたす。ネットれロずは、䌚 瀟のサプラむチェヌンから発生する炭玠を可胜なかぎり削枛する こずであり、オフセットを賌入しおカヌボンニュヌトラルを達成 するよりも盎接的な目暙です。

排出量を削枛するために、パタゎニアは再生可胜な電力を燃 料ずする工堎ず取匕する必芁がありたす。そのような工堎は倚く はありたせん。だから私たちは信頌のおけるサプラむダヌが化 石燃料から再生可胜燃料に切り替えるのを揎助する必芁があり たす。

私たちは今幎、3瀟のパヌトナヌずずもに、゚ネルギヌずカヌ ボンの培底監査に資金揎助を行う詊隓的プロゞェクトを開始し たした。これは、切り替えに最適な斜蚭を芋極めるのに圹立ち たす。その埌、技術的な実珟可胜性の怜蚎を行い、私たちの 財政的支揎を特定し、カヌボンの排陀ず責任の実蚌に぀いお合 意する予定です。

経過を蚈枬し、評䟡したこずを実蚌するのは、私たちがこ のプログラムを拡倧するうえで極めお重芁です。私たちは毎幎、 䞻芁な新しいプロゞェクトを展開したいず考えおいたす。それ ぞれのプロゞェクトでパタゎニアの排出量を玄10ず぀削枛し、 2030幎たでに珟圚の排出量を55、2040幎たでに90削枛 するこずを目暙ずしたす。これは「科孊に基づく目暙蚭定むニシ アチブ」に沿うものです。

***

パタゎニアは50幎の歎史の倧半においお、しばしば぀たず きながらやり方を倉えるこずによっお、私たちが誇れるこずでは ない䜕かを枛らしたり、排陀したりできるこずを、幟床ずなく発 芋しおきたした。最初の䞀歩を螏み出し、たた次の䞀歩を出す のです。

しだいに、私たちは危害がおよびそうになる兆候をより早い 時点で、しかも石炭で黒ずんだ空っぜの小屋を捉えた1枚の写 真のような芋過ごしがちな䜕かから、発芋するこずを孊びたし た。私たちはより積極的に、より慎重に行動するようになりたし た。工堎ず協力しお化石燃料から再生可胜燃料ぞの切り替えを 進めるこずで、確実なペヌスで排出量を削枛し、同時にビゞネ スの成長を総䜓的なフットプリントから切り離すこずに圹立たせ、 他のパヌトナヌやアパレル業界党䜓が採甚できるような暡範ず なるプログラムを䜜りたいず考えおいたす。

人類が盎面しおいる最悪の脅嚁は、私たち自身が排出させた ガスで空を沞隰させおいるこずです。地球枩暖化は、私たち自 身を含むすべおの動物皮の食糧調達胜力を脅かしたす。地球枩 暖化は、最も被害を受けた堎所に䜏む最も貧しい人びずに、埒 歩や船で故郷を去るこずを匷いたす。そしお私たちは、盞互に 䟝存しあう皮が倱われおいく速床の増加や、土壌の生呜力の䜎 䞋や氎䞍足など、同芏暡の関連問題にも盎面しおいたす。

経枈掻動を奮い立たせるこずは、パタゎニア自身の、そしお すべおのビゞネスの汚点を䞀掃する鍵です。しかし私たちが必 芁だず考えるこずは、他にもたくさんありたす。補品のクオリ ティ、耐久性、修理可胜性は、私たちが䜜る補品の実甚性を高 め、そのフットプリントを削枛するために䞍可欠です。よく䜜ら れた補品は、最初の持ち䞻の所有幎数を越えお長持ちするはず であり、第二、第䞉の持ち䞻ぞず受け継ぐこずができるはずで す。そしお぀いに寿呜を迎えたら、補品は捚おられるのではなく、 新しいものを䜜るために再利甚されるべきです。

もうひず぀の埪環型瀟䌚ずは、「あるビゞネスのゎミが別のビ ゞネスの原料になる」ずいうもので、ずくに構築環境、プラス チックや梱包、氎䜿甚などの䞖界では、資源保護にずっおたす たす重芁ずなるでしょう。

自然を基盀ずした解決策再生型オヌガニック蟲業、アグロ フォレストリヌ、湿地保護では、工堎からの排出量を削枛する こずはできたせんが、その他のあらゆる面で、すべおの生き物 ず人類の生息地ずしお、私たちの故郷である地球を救うために 圹立ちたす。汚染や枩宀効果ガスの排出を含む環境ぞの圱響 は、デザむンや補造の段階で決たりたす。しかしそれによる被 害は、森や庭の土や町を流れる川など、特定の堎所に珟れたす。 パタゎニアには、ビゞネスずしお、具䜓的な被害を抜象的に正 圓化するこずに察抗するために、お客様やより倧きなコミュニティ ず協力するこず、そしお垂民ずしお私たちが生きる堎所の健康を 守るこずが䞍可欠です。

ハむスラ・ネヌションの指導者であるゞェラルド・゚むモスは、 こう蚀いたした。「私たちがも぀もっずも倧切な暩利は、責任を 負う暩利である」ず。責任ずは、負担を枛らしたり、より効率よ く分散したりするこずではなく、人間の䞻䜓性、意志の力、掻 気の源、぀たり私たちが倧切にしおいるもの、私たちが目にする もの、私たちが気にかけるものに応じる暩利です。環境危機に 察しお芋お芋ぬふりをせず、それらを盎芖するこずは難しいかも しれたせん。しかし、責任を負う暩利をも぀以䞊、人間がそこ から目を逞らすこずは䞍可胜です。

私たちには、故郷である地球を愛し、そこに暮らす暩利を取 り戻すこずができたす。その運呜を、自分たちよりも暩力があ るように芋える者たちに委ねるのではなく。事態が厩壊しはじ める前に砎滅ぞの衝動を克服するための時間は10幎ほどです。 いたこそ、真剣に行動するずきなのです。

むンドでコットンを育おるこのプラティバ蟲園のように、 再生型蟲法を実践する蟲堎では、害虫察策ずしおマリヌ ゎヌルドをコットン䜜物の間に怍える。 Hashim Badani

グリヌン 違い

すべおのダムは汚い。 それを改善しようずしおも、 事態を悪化させるだけ。

文 スティヌブン・ホヌリヌ

倏のあいだずっず、レむク・ビリヌ・チヌヌクは、 たるでセント・パトリックス・デヌのシカゎ・リバヌ のような緑色をしおいる。アむルランド発祥を祝し お「りィンディ・シティ」こずシカゎで毎幎催される にぎやかなお祭りずは異なり、オレゎン䞭倮郚のデ シュヌツ・リバヌのラりンド・ビュヌト・ダムに堰き 止められた倧きな貯氎湖の生々しい緑色は、同州 最倧の電力䌚瀟がクリヌンな゚ネルギヌ源だず䞻匵 するダムの背埌に溜たった、濁った䞍幞の象城だ。

1955幎、圓時アメリカで過熱しおいたダム建蚭 がピヌクに達したずき、オレゎンはその勢いを抑え ようずした。デシュヌツ・リバヌにダムを造るずいう 連邊の蚱可に異議を唱え、同州は米囜連邊動力委 員䌚を告蚎したのだ。このダムはのちに建蚭され た3぀のダムの最初の1぀で、デシュヌツ・ベむス ンのサヌモンずスティヌルヘッドの行き来を遮断す るものだった。オレゎン州はこの法廷闘争の初回に 勝利したが、電力関係者たちはその刀決に察しお 䞊蚎を申し立お、この蚎蚟は米囜最高裁刀所に持 ち蟌たれた。぀づく刀決では、1964幎のラりンド・ ビュヌト・ダム建蚭や、遡䞊する魚の個䜓数を維持 するための努力の攟棄によっお、この砂挠地垯の氎 域の倧郚分をサヌモンの棲めない環境に倉えおし たったこずに察しお、有眪が宣告された。ポヌトラン ド・ゞェネラル・゚レクトリックPGEは、珟圚カ スケヌド山脈の発電所から人口密床の高いりィラ メット・バレヌぞず電力を送っおいる。

PGEずりォヌム・スプリングス居留地の先䜏民 族連合は、これら3぀のダムを共同所有し、それ が耇雑な状況を生み出しおいる。レむク・ビリヌ・ チヌヌクには3本の川が流れ蟌む。クルックド・リ

バヌずミドル・デシュヌツ・リバヌは䞊流からの蟲業 排氎で汚れおいるが、メトリりス・リバヌは川が本 来そうであるように枅浄で冷たい。たずは汚れおい る方のクルックドずミドル・デシュヌツの2本の川に ぀いお説明しよう。貯氎湖は氎文孊的ヒヌトシンク 攟熱板である。この熱に肥料を加えれば、氎䞭 枩宀ずなる。リンや窒玠を豊富に含む蟲業排氎は、 氎生環境に取り蟌たれるず緑を育おる魔法を発揮し ぀づける。その結果、藻類ブルヌムや他の光合成 怍物䟵入皮が繁殖し、そのなかには有毒なものも ある。ダムによっお堰き止められた枩かく汚染され た氎は、倧量のメタンを吐き出しお気候危機をさら に加速させる、クロヌバヌのような緑色をした毒シ チュヌずなる。

さお、今床はきれいな川に぀いお語ろう。ダム建 蚭埌の50幎間、玄160キロメヌトルを自由に流れ、 デシュヌツ・リバヌの救いずなっおいるのがメトリり ス。3本のなかで最も枅らかな川だ。掻断局、火 山掻動、その埌の巚倧な地䞋氎の動きずいう奇跡 的な組み合わせによっお、この川は氷のように冷た く、柄んで生き生きず流れおいる。トラりトを釣る フラむではなく、オリヌブかラむムを浮かべお飲み たくなるほどだ。そしおレむク・ビリヌ・チヌヌクの 腐った毒カクテルのすぐ䞊流で、デシュヌツの本流 ぞず流れ蟌む。

メトリりスの恵みには、それを裏づける科孊があ る。冷たい氎は凝瞮するため、枩かい氎よりも重い。 ダムがあるにもかかわらず、デシュヌツ・リバヌ䞋流 は50幎ものあいだ、党米屈指のトラりトフィッシン グの枓流ずしお数えられおいた。幎間の平均氎枩 10床を保぀メトリりスの流れは、貯氎湖の底に沈み、

源流からレむク・ビリヌ・チヌヌクたで47キロメヌトルを流れるメトリりス・リバヌは、湧き氎が豊富で透明床が高い。 1988幎に囜立原生景芳河川に指定されたデシュヌツのこの支流は、釣るのが難しいこずで有名なレむンボヌトラりト をはじめ、ブルトラりト、コカニヌサヌモン、マりンテン・ホワむトフィッシュの故郷でもある。 Mike Putnam

ダムの利氎攟流バルブがこの玔粋な良氎を䞋流ぞず送り蟌む。2010幎以 前のデシュヌツを知る人なら、誰でも思い出すこずができるだろう。玉砂 利が敷き詰められた河床の䞊を時速8キロのボヌトで挂うず、たるで空を 飛んでいるような感芚に陥るほど柄み切っおいた。釣りはずおも玠晎らしく、 ここでそれを衚珟するにはどんな蚀葉をもっおしおも足りない。

2005幎、PGEはデシュヌツ・ダムを50幎間運営し぀づけるラむセンス を取埗した。長いあいだ攟眮されおきた魚の遡䞊経路を提䟛するずいう 芁件を満たすため、同瀟は技術的な修正ず巧劙なマヌケティングの組み 合わせにあらゆる手段を講じた。PGEはりェブサむト䞊で、調査結果に 矛盟があるにもかかわらず、氎力発電は「排出フリヌ」である、ず䞻匵しお いる。PGEが所有しおいるものも含め、貯氎湖は必ずメタンずいう圢で枩 宀効果ガスを排出するこずを匷く瀺唆する科孊的研究が増えおいる。メタ ンは二酞化炭玠よりも砎壊力が倧きく、倧気䞭に熱を閉じ蟌める床合いは 28倍も高い。米囜環境保護庁EPAによるず、藻類ブルヌムが繁殖しお 氎質が悪い貯氎湖では、メタンの発生量がさらに倚くなる傟向があるずい う。レむク・ビリヌ・チヌヌクでは䜕幎も前から有害な藻類が発生しおいる。 PGEず氎力発電業界は䜕十幎ものあいだ、ダムは経枈的に成功が芋蟌め る゚ネルギヌ源であるずいう停りのシナリオを掚し進めおきた。しかしそう ではない。

ホラ話ではなく本圓の魚の話をするなら、サヌモンずスティヌルヘッドの ための解決策を考えよう。PGEずりォヌム・スプリングス居留地の先䜏民 族連合は、玄億千䞇ドルを投じお、「遞択取氎タワヌ」ず呌ばれるルヌ ブ・ゎヌルドバヌグ的に耇雑怪奇な装眮を開発した。その利害関係者ぞ の売り文句は、「あたかもダムが存圚しないかのように」だった。PGEが デシュヌツを管理できるようになるず宣䌝されたこのタワヌは、1幎のうち 8か月間、貯氎湖の衚面からデシュヌツの䞋流玄160キロメヌトルにある、 か぀おは自由に流れおいた枅浄な氎流に病的な緑色の氎を送り蟌む。そ の結果、ダムはただたぎれもなくそこに存圚しおいるのだずいうこずを思い 知らせるこずになる。

貯氎湖の底の冷たいきれいな氎から、枩かく汚れた䞊局の氎ぞの倉換 は、魚道の修埩の名のもずに行われたが、これは惚憺たる倱敗に終わっ た。タワヌ蚈画は14幎間の操業で、かろうじお2,000匹のスティヌルヘッ ド、チヌヌクサヌモン、゜ックアむサヌモンをダム䞊流に通過させた。この 数をタワヌの費甚で割っおみれば、これらの魚は地球䞊で最も高䟡なサ ケ・マス類に違いない。

タワヌに費やされたすべおの金銭ず技術的専門技術の割には、このダム 䞊流でのサケ・マス類の野生埩垰はいただにトラップホヌル・プログラム である。魚はホヌスでタンクロヌリヌに吞い蟌たれ、ダムを迂回しお川に戻

「祖父や曜祖父が芋お

以来、そのような姿を 芋たこずがなかった川が、 自由になったのを目の 圓たりにしたのです。 開かれた門から、銬の 矀れが自由に走り出す のを芋るような感芚 でした」

——ダカマ族長老 デむノィス・ワシヌンズ

サヌモンの自撮り。゚ルワ・リバヌのダム撀去プロゞェクトが完了しおから10幎、 ここに写っおいるチヌヌクの成魚ず皚魚のように、スティヌルヘッドやサヌモンが 歎史的な産卵堎所を取り戻すこずに成功しおいる。

される。魚の遡䞊を助けるものがトラックであるなど、滑皜ず しか蚀いようがない。カナダヅルを湿地からツンドラぞ送迎す るのに、ゞャンボゞェット旅客機に乗せたりはしない。

2023幎、このプロゞェクトで遡䞊した春季のチヌヌクはわず か19匹。さらに悪いこずに、オレゎン州立倧孊ずオレゎン州 魚類野生生物局の最近の共同研究によれば、川の䞋流を汚染 しおいる氎が、春に遡䞊するチヌヌクにずっお臎呜的なセラトノ バ・シャスタず呌ばれる寄生虫を倚面的に増やしおいるずいう。 サヌモンを救うためのタワヌが、サヌモンを殺しおいるのだ。

デシュヌツ・リバヌ・アラむアンスのコミュニケヌション・マ ネヌゞャヌである私にこのようなプロゞェクトが倱敗するたびに 垌望を䞎えおくれるのは、魚に察する緩和策は魚ず川の修埩策 ずは違うずいう教蚓だ。電力䌚瀟の存圚理由は魚を救うこずで はない。抂しお、圌らはそれが䞋手くそだ。

「緩和」ずいう蚀葉には、ある考え方が含たれおいる。それは 「䜕かの酷さ、深刻さ、痛みを軜枛する行為」である。それは、 私たちや私たちが愛するものを砎壊する行為に察しお、おずな しく寛容であるこずを意味する。川ず魚に関わる問題においお、 私たちは「すべおのダムは汚い」こずを認識する必芁がある。そ しおさらに重芁なのは、その知識に基づいお行動を起こすこず。 そしお、いかなる類の汚染に察しお「緩和」する䞀方で、その 原因を取り陀くこずを䜕もしないのは䞀皮の狂気である。魚の 最高の孵化堎ずは、健党な河川システムのこずだ。

もうひず぀私に垌望を䞎えおくれるのは、ダム撀去ずいう河 川修埩の極臎のような、河川域の生態系だけでなくそれ以䞊 のものを修埩しおきた氎域プロゞェクトが増え぀぀あるこずだ。 背筋がゟクゟクするようなクラマス・リバヌの4぀のダム撀去 にずもない玄800メヌトルにわたっお再構築される河道。ダム 撀去埌の゚ルワ・リバヌでのサヌモンの初収穫。こうしたプロ ゞェクトは、䜕癟ずある他の䌌たようなプロゞェクトず同様、䜕

十幎もの努力の結集の賜物である。そうしたプロゞェクトは、 たずえ臎呜的な危機に盎面しおも、自然には回埩力があるこず ぞの信頌を取り戻した。そしお同じくらい重芁なこずずしお、叀 くから慣れ芪しんできた、人間同士が切に必芁ずしおいる生呜 力に満ちた信頌をも回埩させたのである。

私にずっお、この春シヌズンのテヌマのひず぀は぀ぐないで ある。四半䞖玀にわたり、氎にた぀わるあらゆるこずを曞いお きたなかで、私が目の圓たりにした歓喜のむメヌゞは、ホワむト りォヌタヌの急流でも倧物の魚でもなく、「顔」だった。

メトリりスず地圢的に近いのは、私の自宅から数キロメヌト ルはなれたホワむト・サヌモン・リバヌである。2011幎、コン ディット・ダムが撀去され、それを祝う矀衆のなかに、ダカマ 族の長老であり圓時コロンビア郚族間譊察眲長だったデむノィ ス・ワシヌンズがいた。ダムの基郚の爆砎された穎からホワむ ト・サヌモンが力匷く飛び出しおきた瞬間、ある写真家が圌を 撮った。その写真には、䞡手に頭を埋めたワシヌンズ氏の姿 が捉えられおいた。「私は涙が出たした」ずワシヌンズ氏はその ずきのこずを回想しながら電話で語った。「祖父や曜祖父が芋 お以来、そのような姿を芋たこずがなかった川が、自由になっ たのを目の圓たりにしたのです。開かれた門から、銬の矀れが 自由に走り出すのを芋るような感芚でした」

ホワむト・サヌモンが迎え入れる川岞の朚々が増え、その 朚々に昆虫が棲み、川に棲む魚の数が順調に増えおいく様子 を眺めながら、私はこの写真ずワシヌンズ氏のこずを思い出す。 圌をあれほどたで感動させたのず同じように、私の故郷である デシュヌツの氎域がダムのない野生の状態で぀いに自由になっ たずき、私もたた間違いなく喜びず぀ぐないの涙を流すだろう。 そしお、窮地に陥った川を愛するすべおの人に、そのような喜 びの涙を流しおほしいず願っおいる。

スティヌブン・ホヌリヌ著 『Cracked』 英語はこちらぞ

適床な颚がこの気たぐれなブレむクを生き生きずさせ、 颚力タヌビンをも回転させる。西アフリカの海岞沿いで 秘密のスポットにこっそり珟れるカむル・ティアマン。  Al Mackinnon

私たちはどのようにそれを䜜ったのか

ナヌレックス・ りェットスヌツ

文 モヌガン・りィリアム゜ン

写真ずキャプション ハシム・バダニ

スリランカのダティダントタの䞘にひっそりず抱かれたパナワッテ・゚ ステヌトは、パタゎニアのナヌレックス・レギュレヌタヌ・りェットスヌ ツに䜿甚する倩然ラバヌを調達する堎所です。1900幎代初頭から぀ づくパナワッテは、スリランカ初の茶蟲園のひず぀でした。ずきは流れ 1992幎、スリランカのケラニ・バレヌ・プランテヌションズ瀟が、3぀ の蟲業気候区にたたがる12,950ヘクタヌルを超えるアグロフォレスト リヌ蟲園での、茶やゎムやココナッツやシナモンの生産を監督するこず になりたした。蟲園は生物倚様性ず生態系の完党性の保護を最優先ず しおいたす。

私たちがりェットスヌツを䜜りはじめたのは玄20幎前のこず。他の サヌフブランドず同じように、パタゎニアのりェットスヌツもネオプレン 補であり、石油に由来するその玠材の補造過皋では倧量の有毒物が排 出されおいたした。そこで2008幎、私たちは極寒の波で䜿甚できる ネオプレンず同様の機胜性はそのたたに、悪圱響を枛らしおりェットスヌ ツを補造する方法を暡玢しはじめたした。

研究開発にほが5幎を費やしたのち、私たちは最終的にナヌレック ス瀟ずパヌトナヌを組み、2012幎に最初のナヌレックス・りェットスヌ

ツを発衚。それはグアナヌルずいう怍物由来のラバヌをネオプレンずブ レンドしたものでした。そしおその数幎埌、ヘベアの朚から採取された 倩然ラバヌを䜿いはじめたした。

しかし残念なこずに、倩然ラバヌにはそれなりの環境ぞの圱響が 存圚したす。ヘベアは商品䟡倀の高い䜜物であるため、倚くの熱垯の 囜々では、ヘベア蟲家が雚林を切り開き、焌き払い、氎域を干拓ず 分氎で倉貌させ、有害な枯葉剀を䜿甚しお圚来皮の地被怍物を陀去 し、耕䜜地を広げおきたした。パタゎニアが䜿甚する倩然ラバヌが森 林砎壊に加担しおいないこずを確認するため、私たちは森林管理協議 䌚FSCず協力関係を築き、パナワッテ・゚ステヌトのように䟡倀芳 を同じくするパヌトナヌを芋぀けたした。

私たちのりェットスヌツは、ヘベアの森の根元からはじたり、そこで 倩然ラバヌずしお地元の劎働者によっお採取され、海で終わりたす。そ しおそのあいだは、フェアトレヌド・サヌティファむドの工堎で䜜られた す。次ペヌゞ以降では、ナヌレックス・レギュレヌタヌ・りェットスヌツ の玔然たる姿をご玹介したす。

〔巊〕広倧な土地に広がる蟲園もあり、それらはいく぀もの川や䞘や村を瞫っお、 小さな道路網で぀ながっおいる。そのすべおから、ゎムの朚の栜培だけでなく、 共同䜓や孊校など、蟲園における生呜の耇雑なタペストリヌが芋えおくる。

〔䞊〕ゎムの朚から暹液を採取するには、暹皮を少しだけ 削り取る繊现な技術が芁される。そこから滎る暹液は、 朚の幹にくくり぀けた容噚に集められ、工堎でその日の 採取量の綿密な蚈量ず蚈枬がおこなわれる。

〔右〕パナワッテ・゚ステヌトで採取に埓事するラゞェシュワリ。 ゎムの朚の暹皮に残る暹液を取り陀き、新鮮な暹液の採取 の準備をする。貯たった暹液は慎重にバケツに入れられ、 工堎ぞず運ばれお、加工凊理される。

工堎の䞊局階でナヌレックスのシヌトを 空気也燥させるラゞェシュワリ。これは 生産工皋における重芁なステップ。

〔䞊〕工堎での加工凊理における最終段階のひず぀。 ナヌレックス倩然ラバヌのシヌトはロヌル状に巻かれ、 小さな四角にカットされ、茞送準備に入る。

モヌガン・りィリアム゜ンはパタゎニアのサヌフ郚門の マネヌゞング・゚ディタヌ。

ハシム・バダニは、ムンバむ垂を蚘録に収めるこずず、 アゞア各地の職人や蟲村ず協働しながら、そうした 人びずの物語に関心が向けられるこずに時間を割く。

「私たちの最新のりェットスヌツは、りェットスヌツの リペアチヌムずデザむンチヌムの力匷い協働の結果です。

修理のデヌタにより、

シヌム郚ず裟の切り替え郚 の問題は明らか で、私たちはその

必芁性に

「修理のデヌタを掘り䞋げるこず により、シヌム郚の臎呜的な問題 を突き止め、スヌツの蚭蚈を 再デザむンするこずができたした。 シヌム郚ぞの負担を軜枛し、 接合郚が長持ちするようにした のはその䟋です」

——バディ・ペンダヌガスト りェットスヌツ修理技術者

「アップデヌトされた玠材には原料 染めのリサむクル・ナむロンが 含たれ、より゜フトな肌觊りで 䌞瞮性に優れ、快適さず耐久性 も飛躍的に向䞊したした」

——マッケンゞヌ・ワヌナヌ

玠材開発者

「目暙は、最も耐久性のある りェットスヌツを䜜り、環境に 䞎える䞍必芁な悪圱響を最小限 に抑えるこずです」

——ギャレット・ゞョヌンズ りェットスヌツ・デザむナヌ

察凊したした」

——アンドリュヌ・ラむンハヌト 補品開発者

——ギャレット・ゞョヌンズ

「Ririゞッパヌに替えたこずで、 腐食しにくくなり、ゞッパヌ スラむダヌの砎損が枛りたした」

——バディ・ペンダヌガスト 「完党なブラむンドステッチ仕䞊げ により、以前のリキッドシヌムに よる接合に芋られたひび割れが 解消されたした。たた、さらに 䌞瞮性も向䞊し、修理にかかる 時間も短くなりたした」

「シヌム郚の砎れを防止するため、 裟の切り替え郚を取り陀きたした。 たた、脚の䞋郚にS字型にカヌブ させたシヌムを加えるこずで、 負担ず足銖の砎れを軜枛し、 スヌツの脱ぎ着を容易にしたした」

——アンドリュヌ・ラむンハヌト

䞀芋早めの゚ントリヌで、倧きくなるばかりの 冬の波に挑むレア・ブラッシヌ。

ポルトガル、マデむラ Al Mackinnon

叀い地球 に 響く

若い声

この星の氷河は倪叀から぀ねに倉化し぀づけおいる。しかし珟代の この瞬間、人間の目に留たるほどその倉化は急速だ。次ペヌゞ以降 で玹介する、私たちの矎しい䞖界のあらゆる堎所に暮らす若者たち が曞いた文集には、スむスのナングフラりペッホから芋た融解する 氷河「アレッチ」の消滅に関する詩も含たれおいる。 Yang Lin 䞖界䞭の若い䜜家たちが、非営利団䜓〈ラむト・ザ・ ワヌルド〉に感化され、詩や散文などを通しお、気 候危機に瀕した惑星での生掻が圌らにずっおどのよ うなものかを、私たちに䌝えようずしおいたす。ハヌ バヌド倧孊によっお創立されたこの団䜓は、月次コ ンテストやワヌクショップ、コミュニティづくりなど を通じお、13歳から19歳たでの若者たちを察象に、 文章を曞く技術を䞊達させるための支揎をしおいた す。そうしお集めた文章を耇数のゞャヌナルずしお発 行したり、パブリック・ラゞオ・むンタヌナショナル ず協働で特集を組んだり、100回以䞊の䜜文コンテ ストを開催したり、20䞇点以䞊もの䜜品を出版しお きたした。最近の「クラむメヌト・ラむティング・アワヌ ド気候䜜文賞」には、33か囜の若者から応募が ありたした。ここでは新旧を問わず、次䞖代の掻動 家である䜜家たちの䜜品から、私たちのお気に入り を集めたした。

10月にはめずらしく涌しいある倕方、私は家のコンクリヌトの小さな 庭を囲むレンガの壁に腰かける。倕焌けが静かに黄昏ぞず色耪せ、 空䞀面にはひんやりずした雲が波王を広げおいく。私のかたわらには ラむタヌ。小さな癜いロり゜クが棚の䞊でバランスをずりながら、 匱々しい炎で消えゆく陜光に抗っおいる。ロり゜クを倖ぞ持ち出した のは、この街に捧げたい蚀葉のない祈りがあるから。車が通り過ぎ、 グリヌンアノヌルが朚塀を這い䞊り、プランテンの葉がざわめき、 重く湿った空気に䞀䞖玀も前の昔話をささやくずき、暗くなりかけた 空ぞず祈りが沞き䞊がっおいくのが聞こえる。たるで颚にさらわれた 遠い歌を远いかけるように、䞡腕を倧きく広げおひたむきに走り ぀づける子どもを芋る。そしお぀たずき、波が凪いでいくリズムの なかに倒れおしたうのを。私は祈る。その子どもが泳げるように なるこずを。私は願う。私のロり゜クが、雚のなかで螊るこの街に、 私の人間の声では䌝えられない蚀葉で語りかけおくれるこずを。 そしお私のロり゜クが、猛進するその倜の子守唄ずなるこずを  

そしおたた明日   沈みゆく街は目を芚たす。

——オリノィア・ラむマン アメリカ合衆囜 「沈みゆく街からの祈り」より抜粋

海面䞊昇に察する沈思ず反応を写真に収める ずいう包括的なプロゞェクト「FloodZone」 からのむメヌゞ。「マむアミでの生掻はほろ苊い」 ず蚀うのは写真家のアナスタシア・サモむロワ。 「楜園のように芋えるし、そうも感じる。でも、 唯䞀しっかりず根を匵っおいるのはマングロヌブ の朚だけです」 Anastasia Samoylova

朮の重さ

やわらかな海氎がくしゃくしゃの ペットボトルにぶ぀かるず、海鳥たちは はばたきながら、打ち寄せる波に たぎれた新鮮な宝物から、きらめく赀い チョコレヌトの包み玙を、嬉しそうに ぀たみだす。高く舞い䞊がれば舞い䞊がる ほど、その赀は譊告の色を倱っおいく。

別の明るい岞では、パたちが黒い喪服に 身を包み、持網のオレンゞ色の死装束に くるたれた、その結び目によっおたさに 息の根を止められた゚むを埋葬するために 矀れ集う。朝の喧隒は高たり぀づけ、 正午になるず、匔いの声は海を溺れさせる ほど倧きくなる。煌めく波のすぐ䞋の 海では、1匹の半透明の青いクラゲが ポリ袋の暪で脈打぀。倪陜に照らされた その神々しい姿は、たるで倩䜿が 舞い降りたかのようにきらきらず茝き、 腹を空かせたりミガメは、それを間違う こずなく仕留める。銀色の波のひず぀ ひず぀の運呜は、孀独な反逆にむなしく 身を捧げ、その氎塊ぞず戻るこず。でも、 芋おみよう。結集した波が䜕をするのか、 月が匕いた朮がどのように岞に抗議し、 倜明けに手぀かずの海岞をプレれント するのか、それがどのように砂浜を 圢づくるのかを。

——サシンディヌ・スバシンヘ スリランカ

気候倉動の圱響は、党䜓的な排出物にほずんど寄䞎しおいない人びず にも及んでいる。むンド南西郚の沿岞にあるケララ州では、いた、 䟵食された海によっお無数の家屋が䜏めなくなっおいる。人びずは、 より生掻に安党な堎所を求めお倧芏暡な移䜏をしおいる。 KR Sunil

私の街で

私の街で

高局ビルの屋䞊に寝そべっお 倜空を芋䞊げれば、 自分がただ取るに足らない 存圚であるこずを、 うろ぀き燃え盛る星々が 蚌明しおくれるだろう。

私の街で

郜垂ず山を隔おる海にかかる橋を 車で枡れば、

橋を支える梁ではなく、

荒々しく無秩序に打ち寄せる波を芋お、 䞍思議に思うだろう。

私の街で

朚ず金属ずレンガの家から 海岞を眺めながら歩けば、

氎が足や手や魂を拝み、 接吻しようずしおいるこずを 自慢したくなるだろう。

私の街で

高速道路の向こうの空に そびえ立぀送電塔に気づけば、

その寂しい通りに゚メラルド色の蔊が、 堂々ず、電気のこずなど知らず、 だがそれを生きがいに、

繁茂しおいるのに気づくだろう。

私の街で

浜蟺に立ち、海に沈む倪陜ず、 その背埌に立ち䞊ぶビルを芋れば、 薄れゆく赀い陜光が、 ガラスの窓や金属の梁を 金箔で芆っおいるように芋えるこずに、 同感するだろう。

——ノァニ・ダドゥヌ むンド ムンバむの「女王の銖食り」ず呌ばれる マリン・ドラむブは、倜に高台から眺めるず、 真珠のネックレスのようだ。そこは象城的な 堎所であり、遊歩道沿いにはあらゆる階局の 人びずが集う。むンド Avani Rai

皆ぞ

そしおずくに未来ぞ

時蚈の針が 時を刻むのを聞け 花に終わりが蚪れるたで そしおこの䞖界を乗っ取るすべおの草にも 曞くのを蟞めるんだ 自分の声は内に秘めおおけ そのリズム リズムはきっず止たる 壊れた時蚈の向こうを眺めながら 地獄に飛び蟌んでいるこずを知る 座るんだ ただ鐘の音を楜しめ

アヌネム・ランドのくすんだ空、沈む倪陜、 濃い赀土。そしお詩的沈思が生たれる瞬間。 オヌストラリア、ノヌザンテリトリヌ準州  Renae Saxby

この詩が そよ颚を守るず思っおいるのか 暗く鬱蒌ず茂ったオヌクの森を守るず いがみ合うのが奜きな蛇たちは ヒスを起こす 止めようずしおいるんだ こんなこずはしないでくれ

感情を 恐れを 信念を曞き蚘せ それらを玙に刻み蟌め 他者がしばしば芋぀める深淵ず闘え 光を楜しむんだ この星たちが攟った光を

——ラむダヌ・ケレオパ オヌストラリア

フォト゚ッセむストのマット・アむクは、蚘憶、家族、コミュニティ、アメリカの情勢 に関する長期的プロゞェクトに取り組む。バヌゞニア州マディ゜ンにあるこの道は、 圌の「バヌド・゜ング・オヌバヌ・ブラック・りォヌタヌ黒い氎の䞊の鳥の歌」 シリヌズからの写真。 Matt Eich

「若朚の倢」より抜粋

私の叀い蟲家のそばに、2本のカ゚デの朚が高々ずそびえ立぀。

それは、いたは忘れられた誰かの結婚のしるしであり、 知られざる愛の象城だった。子どものころ、私はその枝に登るこずに 果おしない時間を捧げた。そしおいたでも、その䞋に暪たわり、

青々ず茂る暗瀺的なその葉を芋䞊げ、ネコマネドリが飛び亀い さえずるその堎所を芋䞊げるこずほど、完璧なこずはない。 いいものではないか、圌らの圱で生きるのは。

私たちの存圚意矩は 私たちよりも倧きな存圚ずずもにいるこず。

——デむノィッド・ファリス アメリカ合衆囜

アレッチ

倉化の空気は舌に鋭い それは私の息を砕き 唇の間に亡霊を匕き寄せる 思考は凍り぀き 芪指の䞊で解け 滑らかな石の䞊を滑っおいく 倪陜の光は苊く

ゆえに雲はそれを噛み砕き 灰色の痛みのない䜕かにしお吐き出す 私は氷河に聞かない

死をどう感じるかず 癜旗を振るための癜はない 氷は空からタペストリヌを織り出す 未来の糞は瞫い目で现くなる 岩の斑王は生身の肌のように刺さり 柄んだ氎に茝く——

実䜓のない傷

それがどれほど蟛いこずなのかは聞かない 代わりにアレッチを吹き抜ける颚を眺める 同じように矎しくなりたいず願う 谷間の手袋

山には氎晶の電車 䞀歩䞀歩を蚘憶する

それがどこたで深く雪のなかに沈むのか ひず぀ひず぀がかすかな錓動であり、倢のささやき 石でできた心を目芚めさせるための ——ディノィダ・ノェンカット・スリダヌ スむス

アルプス最倧の氷河に別れを告げる。 1900幎代初期以来、アレッチ氷河は 20近くの氷塊を喪倱した。スむス  Davor Rostuhar

アラスカ最倧のカリブヌの矀れのひず぀であるポヌキュパむン・カリブヌ矀は、 毎幎、ブルックス山脈の北にある安党な海岞平野で次の䞖代を出産する ために、ある掚定では最長玄2,400キロメヌトルにもおよぶ長旅をする。 䜕千幎ものあいだ、みずからを「カリブヌの人びず」ず呌ぶグりィッチン族は、 ポヌキュパむン矀の移動経路に沿っお生掻を営み、食料、資源、そしお 䌝統文化をカリブヌに頌り、厇拝しおきた。

生呜が はじたる堎所

採鉱や掘削などの自然資源採取掻動があらゆる 生呜を脅かしおいるアラスカで、この土地を 久しく故郷ずしおきた倚様で豊かな野生生物を、 写真家のフロリアン・シュルツが蚘録したす。

嵐の気配はさたざた。亀尟期になるず、矀れを率いるリヌダヌずしおの地䜍を 確立し、それを守るために、支配的なゞャコりりシの雄たちが激しい察決を 繰り広げる。それは、巚倧な角の匷さが支配暩を埗る決め手ずなる、真っ向から の闘いに発展するこずもある。ここでシュルツは、雌の矀れの端で1頭の雄が 競争盞手を睚み぀けるのを目撃した。猛烈に寒いこのような厳しい状況にも 耐えるよう、ゞャコりりシは驚くべき匷さずずもに進化を遂げおきた。氷河期を 生き抜いた圌らは、「キビュヌト」ず呌ばれる内偎の厚い毛によっお守られおおり、 それは矊のりヌルの8倍も枩かい。

文 アヌチャナ・ラム

写真 フロリアン・シュルツ

グりィッチン族の人びずは、アラスカ北郚の海岞 平野にあるカリブヌの出産地を「むむゞック・グ ワッツァン・グワンダむむ・グヌドリット生呜が はじたる聖なる堎所」ず呌びたす。

ここでは、生呜がさたざたな圢で次々ず誕生 したす。北極圏囜立野生生物保護区、ブルック ス山脈、北極圏の扉囜立公園、そしお䞍名誉に も搟取資本䞻矩のもずに名づけられた「囜家石 油保留地」を含めお総蚈202,340平方キロメヌ トル以䞊に広がるアラスカ北郚は、北方林、河 川、期、ツンドラ、䞘陵、そびえ立぀氷河、海 岞平野からなる巚倧な宝石箱であり、地球䞊で 最も生物倚様性豊かな北極地方のひず぀です。

グりィッチン族ずむヌピアット族の人びずは䜕千幎ものあいだ、この土地ず そこに棲む倚様な動物たちず、神聖な盞互関係を築いおきたした。ホッ キョクグマ、ゞャコりりシ、オオカミ、クズリ、ホッキョクむワナなどに加え、 200皮以䞊の鳥類が䞖界䞭からここぞ繁殖のために枡っおきたす。ずくにカリ ブヌは、グりィッチン族の歎史にずっお䞍可欠な存圚です。4䞇幎以䞊ものあ いだ、圌らはポヌキュパむン・カリブヌの矀れずずもに移動し、カリブヌは圌 らにずっお食料ずなるだけでなく、文化ずの぀ながり、そしおこの傷぀きやす い土地を次の䞖代のために守ろうずする力を䞎えおきたした。

アラスカ党土の先䜏民族の共同䜓は、採取産業から圌らの故郷を守るた めに䜕十幎も闘っおきたした。しかし氞久保護の保蚌がない珟圚、保護区を はじめずする重芁な生態系は䟝然ずしお危機にさらされたたたです。掘削や 採鉱、そしお䞍安定な気候ずいった脅嚁が、アラスカの人びずや動物に迫り ぀づけおいたす。そしおずくに遞挙が行われる今幎、その懞念が募りたす。

「この地域を䞍毛の地ずしお切り捚おようずする産業ずは察照的に、私は野 生生物ずその土地の代匁者でありたいのです」ず蚀うのは、アンカレッゞを拠 点ずする写真家のフロリアン・シュルツ。圌は2000幎からアラスカの野生生 物を蚘録し぀づけおいたす。「動物たちは、北極圏にじ぀に倚くの声明をもた らしおいるのです」

シュルツはこの15幎間に撮圱した数々の写真で、これらの矎しく、愛すべ き獣たちが、野生のたたに行動する姿を玹介しおくれたす。

アヌチャナ・ラム はパタゎニアの責任あるビゞネスに関するマネヌゞング・゚ディタヌ。

25幎以䞊にわたり、フロリアン・シュルツは自然を察象にした写真ぞの情熱ず、地球 䞊に残された最埌の野生地を支揎する倧芏暡な保護掻動の様子を远い぀づけおきた。

ホッキョクグマは、䞻食源であるアザラシを狩るために 海が十分に凍結するのを埅ち、2か月以䞊も陞地に 取り残されるこずがある。アメリカ地質調査所が 2014幎に公開した科孊者の研究結果によるず、 ボヌフォヌト海南郚のホッキョクグマは2001幎から 2010幎のあいだに40も枛少した。今幎発衚される 次の掚定も、おそらく同じように深刻な数ずなるこず が予枬されおいる。

チュクチ海の氷䞊で䌑憩䞭のミツナビカモメたち。 英名「キティりェむク」はその鳎き声に由来するもので、 この皮の鳥たちは矀れ集うこずを奜む。繁殖期には 巣ず巣がくっ぀くほどになる。しかし、1989幎の ゚ク゜ン・バルディヌズ号原油流出事故のような倧惚事 によっお海掋環境が汚染されるず、海岞に生息する鳥の 食料源は劇枛し、そのコロニヌも必然的に瞮小する。

カリブヌにずっお長く過酷な旅を䟡倀あるものに しおいるのは、この䞀面のワタスゲのような、 海岞平野の䞊質でタンパク質が豊富な食料だ。 長い冬を越したカリブヌは栄逊を補絊し、 䜓力を぀け、生たれおきた子どもに飲たせる 乳のためにこうした怍物を必芁ずする。

アラスカ北西郚の春の雪解けのころ、ハクガンが営巣のために 垰っおくる。しかし今日では、雪解けが通垞よりも早く蚪れ、 ハクガンたちの飛来も早くなっおいる。そのため雛ず生息数は 増える䞀方で、増え過ぎるず他の動物の食料源の䞍足に぀ながる 可胜性もある。

ナトゥコック・リバヌでりォヌタヌフロントの郚屋に泊たれるのなら、 長時間のフラむトの甲斐もある。この地方を叀くから繁殖地ずしおきた ツンドラハダブサは、速さず機敏さだけでなく、危急皮を保護するため の法埋の力を象城する。第二次䞖界倧戊埌、ハダブサの激枛は広範に およぶ蟲薬の䜿甚に関連づけられおきた。その䟋ずしお、DDTは鳥の 卵殻の圢成を害しお薄く壊れやすいものにし、その圱響を受けお生たれた 卵は早期に割れおしたう。アメリカ合衆囜が1973幎に絶滅危惧皮法を 制定しお蟲薬の䜿甚を厳しく制限するず、ハダブサの生息数は北極圏 だけでなく他の地域でも回埩した。

ナトゥコック・リバヌ䞊流域では、北極圏西郚のカリブヌず 子どもたちが、過酷で危険な川枡りを詊みる。「私は劻の ゚ミルずずもに、ナトゥコック沿いで䜕日もキャンプをしお いたした」ず語るのはシュルツ。「ある朝突然、カリブヌたちが 川を枡ろうず前進するのが芋えたんです。それは䜕時間も ぀づき、さらにたくさんのカリブヌが続々ずやっお来たした。 カリブヌはオオカミやクマに狙われやすいため、川を枡るずき はい぀も奮い立ちたす。倚くの堎合、矀れは川岞で準備をし、 十分な数が集たるず、突然䞀斉に氎の䞭ぞ飛び蟌んで 泳ぎ出したす。圌らの鳎き声が、あたり䞀垯に響きわたりたす」

〔䞊〕クズリは、マヌベル・コミックのりルノァリンより もレアな存圚。「かれこれ20幎以䞊、探怜ず野生動物 の写真や動画の撮圱を行っおきたしたが、クズリを 芋た回数は片手で数えられるほど」ずシュルツが 蚀うのは、この腐肉食動物のこず。持久力に優れ、 ほが単独行動で、広倧な雌は最倧334平方キロ メヌトル、雄は玄1,550平方キロメヌトルもの 瞄匵りをも぀こずで知られおいる。「この写真は、 自然界で最もなぞに包たれた生き物が姿を芋せる、 ほんの䞀瞬の蚌です」

〔右〕ブラりンベアグリズリヌが゜ックアむサヌモンを芋るように、誰かに 芋られおいるずころを想像しおほしい。シュルツがこの巚挢に遭遇したのは、 アラスカ南西郚ブリストル湟の氎域の䞭心にあるレむク・むリアムナで数日 キャンプをしたのちのこず。「クマの狙いが私ではなくおホッずしたした。でも、 その存圚を間近に感じ、謙虚な気持ちになりたした」 北極圏ず同じように、 このサヌモンの本拠地は、䜕千幎ものあいだこの土地ず぀ながっおきた動物たち や先䜏民族の共同䜓にずっお極めお重芁である。たた北極圏同様、この魚の 未来も危機に瀕しおいる。2023幎1月、米囜環境保護庁EPAはこの氎域に 砎壊的な圱響をおよがすであろうペブル・マむン蚈画を阻止した。しかしこの 勝利にもかかわらず、採取ずの闘いは勢いを増し぀づけおいる。2024幎3月、 アラスカ州知事マむク・ダンリヌビヌはその決定に察し、7千億ドルの賠償額を 求めお連邊政府を蚎えた。その2か月埌には、アラスカ州連邊䞋院議員メアリヌ・ ペルトラが「ブリストル湟保護法」を提出。この法案は、EPAの拒吊暩ず同域 での採鉱の氞久犁止を連邊政府の力で埌抌しするものである。

北極圏以倖の土地でも、シュルツは人間が野生動物の生息地を制限するず 䜕が起こるのかを目の圓たりにしおきた。アラスカのデナリ囜立公園で オオカミの矀れを数週間芳察したあず、圌は食べ物を求めお公園の倖ぞ 出ざるを埗なかったオオカミが殺されおいるこずを知った。オオカミの 矀れは広倧な土地を必芁ずするため、たずえ倧きな囜立公園であっおも 圌らに十分な広さではない。「オオカミの喪倱は、圌らの瀟䌚的構造の 力関係に圱響するだけでなく、生態系に連鎖的な圱響をおよがしたす。 「栄逊カスケヌド」を通しお捕食動物の数から怍生にたで倉化をもたらす 可胜性があるのです。そのため保護区の呚囲に緩衝地垯を䜜り、野生 動物のコリドヌ回廊を蚭けお保護区同士を぀なぐこずが䞍可欠です」

「ずくに倏の数か月は、北極圏の生呜はあふれんばかりに栄えたす」 ずシュルツは説明する。「6月初めには雪が降るかもしれたせんが、 1〜2週間で野草の花が咲きはじめ、ワタスゲの癜い綿毛の海に なりたす」 倏はたた蚊の季節でもあり、その数は枩暖化にずもない 危険なたでに䞊昇し぀づけおいる。蚊の矀れは䜕千䜕䞇ずいう数に 達し、カリブヌ1頭から1日最倧240ミリリットル近くにもなる血を 吞う。危害はそれだけでなく、その絶え間ない襲撃に悩たされる カリブヌたちは川のような怍物の少ない地域ぞず远いやられ、 圌らの゚ネルギヌは消費され、子どもを育おる胜力が脅かされる。

〔衚玙〕「ラむダヌズ・オン・ザ・ストヌム」での15日目、この日の行動食を探すパタゎニア・アンバサダヌのショヌン・ノィラヌ゚バ・オドリスコヌル。 これはニコ・ファブレスずシヌベ・ノァンヘずずもに、同ルヌトのフリヌ化に初挑戊したずきのこず。チリ、トヌレス・デル・パむネ囜立公園 Drew Smith

クラむマヌ、サヌファヌ、トレむルランナヌ、アングラヌ、スノヌラむダヌずしおこよなく愛する堎所においお、私たちはしばしば蚪問者ずいう存圚でしかありたせん。

パタゎニアの本瀟ずサヌビスセンタヌは、チュマッシュ族、ワショヌ族、パむナヌト族、ショショヌニ族の人びずの故郷である未譲枡の土地珟圚ではカリフォル ニア州ベンチュラ、ネバダ州リノずしお知られおいる地域にありたす。先䜏民族の人びずず盞互関係を築くこずは、皆が共有する故郷である地球を回埩させる ための、私たちの取り組みの䞀郚です。

ゞャヌナルの䞍芁な郵送 お匕越しされた堎合は、旧䜏所ず新䜏所をお知らせください。䞇䞀この ゞャヌナルが誀配されたり、耇数お受け取りになった堎合、あるいはゞャヌナル郵送の停止をご垌望 の方も、フリヌコヌル0800-8887-447、りェブサむトpat.ag/csたでご連絡ください。

FSC®〈森林管理協議䌚〉森林認蚌玙 本ゞャヌナルはFSC® 森林認蚌玙に印刷しおいたす。パタゎ ニアは25幎以䞊もカタログおよびゞャヌナルの印刷に再生玙を採甚しおきたしたが、消費者から回 収リサむクルされた叀玙100に切り替えたのは2014幎のこずです。本誌の日本語版は日本囜 内で調達したFSC® 森林認蚌玙に日本で印刷しおいたす。

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